望まず、あてにせず、期待せず。
父の口癖である。
このところ、事あるごとに「望まず、あてにせず、期待せず」という言葉がわたしの頭をよぎるようになった。
子らと過ごし生活の実感に満たされているようなとき、どちらかと言えば拒絶的でネガティブな響き持つこの言葉が忍び寄る。
穏やかで暖かな暮らしのなかにあって笑顔で過ごす時間、自分の両親がいまどこでどう過ごしているのか、一瞬とは言え、わたしの頭の片隅にもない。
そう気づいて、この言葉が意識にのぼる。
望まず、あてにせず、期待せず。
その言葉を発したときの父の胸中に共感を覚えるような気持ちになって、わたし自身も予感する。
自分にあてはめて考えれば、決してネガティブな言葉ではないと理解できる。
毅然としてこそ人生の大先輩。
わたし自身も、子らに甘えるつもりなどさらさらないし、あり得ない。
遠くない将来、子らは巣立つ。
いまは毎日顔合わすのが、年に数回となり、もしかしたら数年に一回といったような話になるかもしれない。
だからもうすぐ、わたしの口癖にもなる。
望まず、あてにせず、期待せず。
反語的な響きを伴い寂しそうに見えて、正反対。
子らが仕事や家族とその居心地の良さのなかにあってくれれば本望だ。
わたしなどに構わず、思う存分やってくれればそれでいい。
望まず、あてにせず、期待せず。
男子が受け継ぐバトンにはそう刻まれて、それが男子の定めなのだと、いつか君たちも知ることになるだろう。