KORANIKATARU

子らに語る時々日記

同乗することに意味があった

今年1月2日。

クルマのシートを3列にした。

7人乗りの形にしたのは子らの友人が泊まりに来たとき以来のことであった。

 

私が運転席で家内が助手席。

後部座席に父と母。

最後尾に息子二人が陣取った。

 

安全運転でノロノロ走る。

向かうは生駒山上。

そこに我が家の墓がある。

 

特に会話弾むことなく、ときおり家内が一人で喋る程度。

車内は静けさに満ちていた。

 

言葉少なに連なって歩いて墓でひととき過ごし、そして言葉少なに引き上げた。

 

帰りもノロノロ運転。

ゆっくりゆっくり山を下った。

 

今日、仕事の途中、実家をのぞいた。

二言三言、父と寒さ談義だけしてすぐ家を後にしたのだが、どういうわけかふと先月の墓参りの日の光景が頭に浮かんだ。

 

相変わらず激烈な冷え込み続く下町の通りを歩きつつ、父の視点になって、その日の行程を辿り直してみた。

 

三代に渡る男子が同乗し、順序で言えば父が最もそこに近く、次にわたしで子らはまだはるかに遠い。

 

文字通り真後ろに自身の系譜継ぐ者らがいて頑丈で、まだこの先もずっと当家男子の時間はバトンリレーで引き続いていく。

 

自身が若返っていくかのような循環を間近に感じ、手応えさえ覚えるような確信の時間を父は過ごしていたのではないだろうか。

道中、祖父母の姿を前に見続け墓でそのもっと向こうを垣間見て、子らにとっても示唆に富む一日となったはずである。

 

出かけるときは分乗するより、3列にして一緒に乗るのが正しい。

一ヶ月以上も経ってから、わたしはそう気づくことになった。

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Rene BurriAn elderly tourist being taken around the ruins of Pompei in a ‘carry chair’, Campania. Pompei. 1956