午後、酷暑に干上がる一歩手前、家に駆け込んだ。
しかしそこもまた、むせるほどの暑さであった。
大窓のカーテンが開いたままであり室内が直射に晒され続けていた。
命に危険が及ぶ暑さと言えた。
なにはさておき熱を冷ますことが先決であった。
へたり込みそうになりつつも1階から3階まで這って移動し、各部屋の冷房をオンにしていく。
長男の部屋を見ると彼の姿はなかった。
一昨日クーラーの点けっぱなしで彼は体調を崩していた。
普段なら夜中に家内が見回ってエアコンの電源などを切っていく。
あいにくその日から家内は留守。
彼は19℃の冷風を浴び続け朝を迎えることになった。
すでに回復し図書館にでも出かけているのだろう。
今朝のカレーが効いたのかもしれない。
カラダがしゃんとしないときはLeeの20倍に限る。
なかば冗談交じりにわたしは勧めた。
素直に聞き入れ、辛い辛いと喚きつつも彼はそれを平らげた。
内に生じた熱が身中の冷えを粉砕するのに時間はかからなかったようだ。
まもなく夕刻。
空調が効いて家に快適が戻ってきた。
わたしは家事にとりかかる。
洗濯機を回し洗いものを片付けそして洗濯物を干す。
上下階のトイレを掃除し風呂も洗う。
そして食卓の上、もらってきたばかりの各種パンフレットを並べる。
この日わたしは、梅田スカイビルで開催された早慶合同入試説明会に足を運んでいた。
進路については幾つもの正解があるだろうが、そのときになって慌てぬようそろそろ各種選択肢についてしっかり検討を加えはじめる時期だろう。
ただでさえ視野狭窄に陥りがちな年頃である。
十代の少年が考えるより実は正解のストライクゾーンはかなり大きく、それを示唆するのは親の責務とも言える。
訪れた結果のなか何を優先するのか。
渦中においては見えにくくなる話を先に一緒に考え仮説程度はこしらえておく。
そうすれば慌てず騒がずいかなる結果も前向きに受け止められるようになるだろう。
個人的な見解として、育ちの仕上げとなる大学生活はこことは異なる場所での幕開けとなるのがいいように思う。
成長を前提としたとき、新しい服は大きい方がいい。
経済のスケールや街のサイズ、人のダイナミズム、それらすべてが刷新される場所でどこまで自身が成長できるのか。
関西の日常とは一歩距離置く地でそれを試してもらいたいと思う。