昼から午後にかけ長時間の付き添いとなる。
時間をやりくりするため朝4時に起き事務所に入り、先にデスクワークをこなしてからクルマで父をピックアップした。
一体一日何件の手術をこなすのだろう。
昼だけで既に大勢の方が荒本おいだ眼科の待合室にて順番が来るのを待っていた。
付き添いなのに遠く離れて座る夫婦が幾組かあって目を引いた。
病院の待合は夫婦の距離が可視化される場なのかもしれない。
夫婦と言えど身を寄せ合うのは結婚当初だけの特異な現象であって、所詮は水と油と男と女、やがては犬猿となるか良くて付かず離れずという関係に収まるものなのだろう。
わたしと父は隣り合って座った。
会話はない。
手術であるから、気が滅入って口数が減るのも仕方ないことだった。
種田先生に任せるのであるから大船に乗ったようなもの。
そんな気持ちではあったが、やはりそれでも手術と聞けば、山口百恵の赤いシリーズのイメージが蘇り、宇津井健や三浦友和の深刻な表情が脳裏をよぎって父もわたしも往年の名優同様に不安と緊張のなか置かれるのであった。
手術前、先生に挨拶しすべてを託した。
何をするでもなく、わたしはそこに座って待った。
父はわたしが近くにいる思っているだろうし、そう思って気丈夫なはずだから、当然わたしは一歩も動かずそこに居続けた。
じっと待つこと一時間半。
手術は成功、無事終わった旨を告げられほっとした。
種田先生の手による手術なのだから当然と言えば当然という話であった。
クリニックを後にし薬局の待ち合いで父が母に電話した。
父の声を聞いて安堵する母の様子が会話から窺えた。
父を乗せて実家に戻ると母が玄関先で待ち構えていた。
そうである方がいいと思ったので、しばらく一緒に過ごした。
先日、家内の友人の母が亡くなった。
危篤状態となってから数週にわたり、息子二人と娘一人が駆けつけ代わる代わる病室に寝泊まりし母を見守った。
そんな風に結束する家族がある一方、親すら放置し兄弟姉妹も互いそっぽ向き合う家族もある。
人間の幸福は老後にある。
そう思えば、老いて死を間近に控え自身のことはさておき、いずれも最愛の我が子らが離反相反していたらこれほど情けないことはないだろう。
実家を辞しそのままクルマで帰宅した。
昼食をとっていなかったのでまずは駅前に出て大貫で揚げ焼きそばを食べビールを飲んだ。
腹を満たして、ひとり風呂に入っていると美容院から家内が帰ってきた。
風呂場に入ってきて、髪型を見せ秋物のジャッケットを着替えたりしながら、即興ファッションショーが始まった。
髪型バッチリ服もオシャレ。
中身がいいからなんでも映える。
そのように賛辞を送り、湯につかって笑っているうち、疲れが癒えた。