この日もJR尼崎で途中下車し阪神百貨店の食品売場に向かった。
まずは刺身の売り場に足を向ける。
切り落としがあってラッキー。
各種切り身が混ざって安いが、個々の具がいいから飯に合う。
なにより手軽。
独り身には切り身、とはよく言ったものである。
続いて、赤身を吟味する。
いつの間にか寄る年波。
脂身の少ない牛肉を夫婦そろって毎日食べるようにしている。
その他適当にカゴに入れ、女房が好む明太子やつぼ漬、赤ワインを買って駅へと戻った。
このところ勉強に励む家内であるから、夕刻の家事はわたしが担う。
風呂を沸かし洗濯機を回し干されたものを取り込む。
ご飯を炊いて洗い物も済ませ、ゴミも出す。
激務に疲弊していた頃であれば苦痛であったかもしれないが、今は余力がある。
仕事と同様、課題をこなす要領で次々こなして楽しいとすら感じる。
先日、実家を訪れると父が台所に立っていた。
まさかこんな風になるとは思わなかった。
父は笑ってそう言った。
母がいた頃は父が台所に立つなどあり得ないことだった。
母が父に家事など絶対に手出しさせなかった。
時代は変わり、わたしは当たり前のように家事を手伝い、うちの息子らはもっと当たり前に率先して家事に勤しむ。
このように時代時代、家庭の「当たり前」が移り変わっていく。
軽く肉を焼きイイダコなど各種煮物と刺身の切り身を夕飯にし、ひとり食卓にてわたしは今朝見た夢を振り返った。
大学生の頃だろう。
ちょうど帰京しようとするところだった。
実家で服をかばんに詰めていると、母がわたしに声を掛け、駅までクルマで送ると言った。
目が覚めて、夢によって気付かされた。
そう言えば母は運転免許を持っていなかった。
まわりのおばさんらがクルマを運転するなか、自分でも免許をとって運転したかったに違いない。
やりたいことはやっておこう。
朝、夢がわたしにそう言ったも同然だった。
家内は連日勉強に取り組んでいる。
女は嫁に行けばいい、そんな環境でなければ十代の頃からもっと勉強に取り組んだのかもしれない。
月日は経過しもはや十代ではないが、人生は結構長く、やり直す時間はいくらでもある。
家内のイキイキとした表情が頭に浮かぶ。
ちょうど昨日のこと。
事務所の手伝いに寄った家内が、空で専門知識を披露して、助さんと格さんは驚いてぽかんと口を空けていた。
やりたいことをやる。
そう強く意識する年齢にわたしたちは差し掛かったのだった。