KORANIKATARU

子らに語る時々日記

「天人」を読んで子に渡し「下克上受験」に引き込まれ夜眠れない。


ミスト設定にし噴霧する湯の雫を全身に浴びつつ風呂を洗う。

さっきの踏切の光景が蘇る。
長距離運転し間もなく家というところ、鳴尾の踏切がなかなか開かない。
右側に停車中のバンの助手席にふと目がとまる。

柴犬が行儀よく座っている。
端正とも言える顔を窓側に向け、黙って外を見ている。
視線の先には、踏切前に立って身振り手振りし携帯で話す若者がいる。

電車が通り過ぎる。
ワンちゃんの橫顏が明るく照らされる。
ワンちゃんは電車など気にも留める様子なく、まっすぐ若者を見つめ続けている。

なんともワンちゃんが一途で誠実そうに見える。
生まれ変わったら、いや、歳取った後は、気の合うワンちゃんと静かに暮らそう、そのように思いつつ風呂を洗い終え洗剤の残りをシャワーで流す。


長男が新しいメガネをガーデンズで買って帰ってきた。
学校でバスケしていて壊れたのだという。
中学になってもうこれで4つ目のメガネだ。
メガネもタダではない。
いい加減にしてもらいたいところである。

読み終えたばかりの「天人」を長男に手渡す。

先日の朝日新聞の書評で紹介されていて購入したものだった。
天下の名文家、深代惇郎について書かれた本だ。

どんな仕事をするにせよ、子らには心通ったいい文章を書ける男子になってもらいたい。
そう伝えて手渡し、長男は参考にするわ、と答えて受け取った。

「天人」については、角幡唯介氏の書評が素晴らしかっただけでなく、著者の後藤正治氏の文章も素晴らしく、当の書物のなか引用される数々の記者らの文章や言葉も素晴らしく、そして、やはり、深代惇郎が素晴らしかった。
雪片について書かれた一節など絵画の域という他なく心離れない。

数々の名文の余韻にひたりつつ、幾許かでも子の肥やしになればと願う。


猫の額ほどのスペース、我が統治下にある寝床に入って「下克上受験」を読み始めた。
「天人」が紹介された朝日新聞の裏のページに同じく書評があって関心ひかれ一緒にまとめて買ったのであった。

軽い気持ち、要所だけ拾って流し読みするつもりであったが、一気に引き込まれることになった。

40代中卒の親父が一念発起し、娘とともに難関中の難関である桜蔭中学合格を目指す。
その1年5ヶ月に渡る歳月の紆余曲折と問題解決の過程が描かれる。

ぐいぐい引き込まれ眠気も失せる。
文章が素晴らしい。
論旨に淀みなく、心地いいほどのスピード感、そして、ユーモアに溢れている。
ここまでがっちり心掴まれたことは久々のことであった。

中卒だと言うが、これは並大抵、凡百のライターでは太刀打ちできないレベルの文章というしかない。
なにしろ、直前に私が読んだのは超エリートらの名文集めた「天人」なのである。
その「天人」が遠景にかすむほどに強い光彩放つ文章と言っても大袈裟ではない。

「人生のしくみ」という挿絵に作者の情念こもった熱い主張が凝縮されている。
作者にとり人生の真実を総括したような図であり、父は愛する娘の人生の「流路」を変えるため、この図を示し娘を鼓舞し自らも全身全霊を傾ける。

流路、という言葉に強く喚起されるものを感じる。
父子の流路はつながっている。
少しでも良い流れとなって欲しいと願う作者の親心に共鳴するものを覚える。

あまりに文章が素晴らしく、作者の考察が明快明晰で、単に受験を描いた次元の話の上を行くレベルにまで内容が昇華されている。

親なら誰であれ手にとってみるべきかもしれない。