KORANIKATARU

子らに語る時々日記

学年説明会を聞いて北浜で新年会の巻


肌刺す寒気のなか駅を目指す。
時折、小雪が舞う。
吐く息はますます白く、カラダの熱が根こそぎ奪われていくかのようである。

今夜、本格フレンチで新年会が催される。
空腹のまま午後を過ごすつもりであったが、三叉路で信号渡るとき「奈良人気ナンバーワン」と貼り紙されたラーメン屋と目が合ってしまった。
店名は、厨房わっしょい。
お昼の営業は2時30分まで。いま2時15分。

私の足は吸い寄せられ、無意識裡、手が引き戸にかかる。
気づけば私はカウンターに座ってメニュー最上段記載のおすすめを注文していたのだった。

細麺が深みあるスープによおく馴染み、麺をすすればすするほど美味に接する快感が全身に行き渡っていく。
おいおいという理性の声などどこ吹く風、私は替玉まで注文していたのであった。


学年説明会では決まって親心活気づくような話が提供される。
この日も例外ではなかった。
模試の結果から見て、学年の6割が東大圏内にあるという話から始まって、まさにつかみはそれでOK、父兄は話に引き込まれていくことになった。

我々の当時は東大と並び立つ京大という存在であったが、一極集中の度合いは強まるばかりであり、東京視点で見れば、いまや京大はややかすみ、東大一強という構図となっているそうだ。

そのような状況を把握したからには学校は黙っていない。
先頭に立って旗を振り、脱ローカルという意識改革を進めていくことになる。
東大は別格であり、単にお勉強して入ったからといって意味はなく、いずれは人を束ねるリーダーになるのだという自負のもと、人間力や集中力、忍耐力、体力をも鍛え上げる自覚が必要で、そうであってこそ意味が伴う、そのように東大という存在を生徒に意識化させていく。

相対的な立場でモゴモゴ物言うのではなく、価値評価を鮮明にする姿勢が面白い。

そして、話のテーマは語学研修などに移っていく。
日本人特有の萎縮癖を打破するための方策が語られる。
面白い話が続いていく。


ラーメンでカラダぽかぽか、平和な心地で電車座席にカラダを預ける。
車窓の景色に目をやりながら考える。

何も東大やいい大学に行かせることだけが目的で中高を選ぶわけではないだろう。
いい大学に行かせることだけが目的なら、他にいくらでも道はある。
公立からでも、高校検定でも、どのようであってもゴールに達することはできるだろう。

しかし、我が子のこととなれば、ゴールだけでなくそのプロセス自体も吟味したいとなるのが親心だろう。
だから中学高校それ自体としてどこがいいのかという視点が生まれるのも当然のことのように思える。

そこには、短期的で表層的な収支をはじいてコストパフォーマンスがどうといった算盤勘定の出る幕はない。

以前の日記にも書いたとおり、学校選択は、いわば、長く保有する固定資産の選択のようなものに近い。(固定資産であるから有用であればよく、他所と比べてどうのこうのをあげつらうあさましいやりとりに用いる類のものではない。)

そこで学び、様々経験し、知己を得る。
その充実の年月が結実して、末永く引き続く力の源泉になってくれればと親は願って子を託す。
大学なんて、その次の話でしかない。


夜の新年会までには時間があった。
サウナでさっぱりしてから、北浜に向かった。
夜にかけ寒さはやたらと厳しさを増すばかりである。

南森町から天神橋を渡ると、右手にルポンドシエルの瀟洒な建物が見えた。
大阪きっての名門フレンチである。
一歩入ると、場面が変わった。
寒風吹きつける天神橋の暗がりが、ぱっと華やか光に包まれた。

さるクリニックの新年会がここで行われたのだった。
偶然、カネちゃんと同じAテーブルとなって、二人して心温まるおもてなしを受けた。

日頃から最強のチームワークを見せるクリニックである。
新年会もメンバー全員の気配りが隅々まで行き届いたものであった。

そこかしこ、晴れがましいような幸福感が花咲く素晴らしい会であった。
子らが元気よく駆けまわる中、御年80歳となる会の主宰者の父君が、はるか年下の出席者に深々と挨拶される姿が印象的でジーンときた。

おれらも80歳になったとき、息子のこんな姿みたいよな、と声をかけるとカネちゃんは深く頷いた。

ご馳走の数々はラーメンの満腹をも忘れさせるものであった。
この場を使って、極上の一夜に、心から感謝申し述べたい。