「京大に行かせてあげたい」
先生のそんな言葉が思い出される。
ご自身が京都大学で学んだ。
だから掛け値なしにそこが最高の場所であると知っている。
ぜひ教え子にも京都大学で学ばせてあげたい。
そう強く思う気持ちは親心にも似たものだった。
しかし一昔前と比べ、保護者や生徒本人の安全志向が顕著になった。
また、大阪星光は「進学実績にこだわらない」。
結果、ポテンシャルのある生徒が適当な所で手を打って、もどかしい思いにとらわれる場面が増えていった。
もともと大学合格実績にこだわったからこそ大阪星光は大阪を代表する進学校となった。
しかし、そんなプロセスを経て更に飛躍することを志向するのではなく「進学実績にこだわらない」とのスタンスがいつしか学校の主勢力となり、進学実績派は外様的な立場となっていった。
それでもポテンシャルのある生徒が集まり続けたから、そこそこの実績は維持できた。
しかし、そこに西大和の台頭があった。
その勢いはとどまることを知らない。
じわじわと合格最低点が上がり偏差値も上がり、進学実績も目を見張る。
だから大阪星光を選んだ保護者のなかには歯がゆい思いをする人も少なくなかったのではないだろうか。
西大和は進学実績志向を鮮明に打ち出して、方針も一貫し、先生も実にテキパキはっきりしていて頼もしく感じられる。
その一方、星光の先生の中にはさほどパッションを持ち合わせていないのではと見受けられるような人もいる。
果たして大丈夫なのだろうか。
そんな不安が保護者の心象に朧な影を落とすなか、今年68期は結果を出した。
「京大に行かせてあげたい」
先生の真摯な思いが68期の教師陣に共有されて、真面目な生徒たちに伝わった。
今年はそういうことが起こったということなのではないだろうか。
もちろん、大阪星光に入学する時点での学力を考えれば、これくらいの進学実績で「普通」と言える。
が、やっと普通に戻って、進学実績がよければ生徒も保護者も先生も三方良しとなることが明確になったように思う。
昨年の夏、わたしは徳島にいた。
そのとき、先生の突然の訃報に接し愕然となった。
飲み会などでは前に座ってよく話を伺った。
そんな機会はもう得られない。
先日、今年の大阪星光の進学実績を耳にして、先生の存在が眼前に立ち現れるかのように感じられた。
その面影を偲び、先生の思いが大阪星光において永く受け継がれることを願うような気持ちになった。