南森町での業務を終えたとき、抜き差しならぬような疲労を覚えた。
このところ忙しい。
疲れが出るのも無理はないと思えた。
日本一長いとされる天神橋商店街を歩きながらマッサージ屋を探した。
平日の夕刻、すでにあちこちの飲み屋が店を開いて盛況で、一杯やり始めている男性諸氏の姿が多く見られた。
一杯飲み屋とマッサージ屋はなにか通じ合うものがあるのだろうか。
どこもかしこも満杯で空きを見つけることは簡単ではなかった。
結局、天六あたりまで歩いてやっとのこと一床にありつくことができた。
脱力し横たわってカラダを預けた。
安堵のため息をつきながら考えた。
このところ方々から声がかかって、実に忙しい。
こんな出来損ないな自分であるにも関わらず、何か有用な特質が備わっているからこその話であるから、ときおりへとへとになるが疲労も含めて喜ばしいことであると言っていいだろう。
そして、カラダを揉まれつつ癒やされながらその特質について思考を巡らせるが、なかなかうまく言葉として捉えきれない。
「あんた、いいねえ、頼りになる」
その昔、年配の事業主に惚れ惚れとでもいった感じで言われたことがあり、そんな言葉の断片がすべてを物語り、しかし、断片であるから、それをもってその特質の全体像を端的に説明するには不足が生じる。
せいぜい言えて、仕事という局面で「ぱっと生じる何か」といったところだろうか。
考えてどうのこうのではなく、仕事になると「ぱっと生じる」。
わたしの場合はたまたまであったが、身中に内包されたその特質と仕事が合致した。
学校で教わったり、学校で競わされたりする範疇の外にあるものであるから、下手すればわたしはその特質に出合わずに人生を過ごしていた可能性だってあっただろう。
と思えば、チラとそれを感じることができただけでも恵まれた話と言ってよく、それが生業になっているのだとしたら幸運至極とさえ言っていいだろう。
であればわたしはこの「ぱっと生じる何か」を最大限に敬ってねぎらわなければならない。
だからマッサージの後、一杯飲み屋へとわたしが歩を進めたのは言うまでもないことであった。