1
夕刻、家路につく。
クルマを発進させ、野田の交差点で信号を待つ。
夕焼けを背景に環状線内回りが高架を走る。
私の左横では、親子連れの自転車が信号待ちしている。
母親が、後部座席の小さな息子に電車だよと指差している。
何とも懐かしいような、心和む光景だ。
小さかった長男や二男を自転車に乗せ、あちこち走り回った若かりし頃のことを思い出す。
遠い昔に目を細める。
FMココロでは月曜なのに歌謡曲、「この広い野原いっぱい」が流れている。
「この広い世界中のなにもかもひとつ残らず あなたにあげる」
その歌詞に胸を温かくしつつ、眩しいような目の前の光景を眺める。
素晴らしい夕刻であるはずだった。
景色は瞬時に暗転した。
母親が、小さな小さな少年のおでこを平手で張った。
バチンッ、と炸裂音が響くような強打であった。
突如の豹変であった。
さっきまでの和やかなムードは手の込んだ冗談であったのだろうか。
少年のおでこには手型が残るであろうし、それだけでなく、心にもクッキリ生々しい跡が残るだろう。
私も我に返る。
そうそう、ここは大阪。
スーパーでも公園でも、ちょいとのぞけば、どこでもこんなもの。
母は、声荒げて子を怒鳴り、感情のまま子をどつく。
永遠に続くドミノ倒しのように、小さな暴力が連鎖していく街。
背景には貧困化がある。
もし財布に十分なお金が入っていれば、もっと心は穏やかなものだろう。
2
大阪市内は住むところじゃないんですよ、と不動産屋は言った。
家探しを始めた当初のことであった。
そう言えばと思い巡らせてみた。
ごくごく一部の住宅街を除いて、どこも柄の悪い、裏寂れたような場所ばかりが頭に浮かぶ。
少し外に目を向けてみてください、阪神間や北摂、奈良の生駒や香芝周辺など、いくらでも、こましな地域があるじゃないですか、と不動産屋は続けた。
その不動産屋は私が信頼を寄せている人物でもあった。
お知り合いのほとんどは市外にお住まいじゃないですか、と不動産屋が言う。
確かにそうだ。
大阪市内で仕事はしているが、考えれば市内在住の事業主などほとんどいない。
私には手の出ないような高級住宅街に何人か住んでいる程度であり、誰も彼も、市内を生活の拠点にしている人はなかった。
このやりとりは十年ほど前のことであるが、今もその傾向は続いているようだ。
大阪市内の人口減の流れにはまだまだ歯止めかからず、しかしその一方で、周辺には人口が増えていく地域が存在する。
大阪市を居住の候補から外し、以来他所で暮らす身の私であるが、元はといえばコテコテの大阪市民。
生まれ育った地域への愛着は人一倍との自負もある。
寂しいような思いだけが募ってくる。
3
大阪の住民投票を巡って、「賢ぶった」数字を並べて拵えられた反対意見の理屈を目にする度、一体それで何がどうなるというのだろうと暗澹となった。
それらしいような数字を用いて「説明」はできても、それは「解決」とは程遠い話であり、つまりは次元が違う。
問題のなかの一要素でしかない数字によって何か解明した気になったところで、実際の問題は手付かずのままなのだから、空虚なことである。
地に落ちたような大阪のマインドに変化もたらす作用こそが必要であり、それは数字にプラスαされたマインドによってしか為せないものであろう。
解決を志向するマインドが備わらない言説に水を差され、大阪は、再生へと踏み出す契機を失った。
そのようにしか思えない。
(芦屋にて撮影)