KORANIKATARU

子らに語る時々日記

老いたその後の楽しみ


懇親会は鶴亀で行われる。
事業所の送迎バスに揺られて現地に向かう。
仕事で訪れるだけでなく長男の学校も近いのでここら界隈はいつのまにか馴染みの道となった。

池部方面から県道36号線を伝って王寺方面へ。
遡れば旧石器時代に端を発し縄文、弥生、飛鳥、そして奈良時代へと引き続く長期に渡って日本の要地であった地域である。

各時代の歴史的遺跡にも事欠かない。
いにしえの時に思いを馳せ、今に重ね合わせながら道中の風景にぼんやり目をやる。

イオンの前を通り星和台で左折。
たこ焼き通なら知らぬ人のない「粉もん屋八」の前を過ぎれば、まもなく鶴亀。
ちょうど河合中学の道路対面にある。

看板にはうどん、そば、丼物と書いてあるが、料理名人の女将がこしらえる遥かな領域はそんなものでは収まらない。

鍋もおでんも天ぷらも肉もフライも何もかも、それら手作りの品々はひとつ残らずおふくろの味選手権全国制覇と言える域にあり、そのほか刺身だってついでの顔して平然と超一級だ。

なかでも、エビフライが特筆の代表格であろう。
なにしろでかい。
太く分厚く、頬張り甲斐のある一物。
手製のタルタルソースとよく馴染む。


傾聴ボランティア。
はじめて耳にする言葉であった。
たまたま私の前の席に座られたご婦人が傾聴ボランティアの方であった。

老人ホームなどで高齢者の話し相手になる。
何か助言したり、問題解決に与する訳ではない。
ただただ話を聞いてあげる。

そういった役割のニーズがますます増すご時世なのだという。

様々な老人ホームの実情を聞かされ私は驚いた。
施設に入所するご老人の家族はそうそう面会に訪れるようなことはないのだという。

奈良などは地域性があってまだましだ。
地域の目があるからそうそう無下に扱う訳にはいかない。

しかし、大阪など都心部になると「ほったらかし」といった傾向が際立って顕著になる。

親が怪我してさえ、危篤であってさえ、施設任せであることも珍しくない。
中には、施設に足を運んでも、親と顔を合さず手続書類だけ受け取ってすぐに取って返すような人まであるくらい。

ご老人は話し相手を求めている。
切実に。


薄情な子もあったもんだと呆れて、しかしすぐに思い直す。
他人にはうかがい知れない様々な事情があるに違いない。
ナイーブに受けとめ厭世的に思っても的外れなことであろう。

合理的で省力的であることが尊ばれる世である。
便利はOK、不便はNG。

その価値観のみで見れば、老人は明確に後者に入る。
足手まといであり、お荷物であり、厄介払いしたい対象に区分される。

いくら愛情あっても、その陽で照らしきれない日陰には、即物的な判断や感情が紛れ込む。
忙しいのに迷惑だ、手を焼いていられない。

そんなことこれっぽっちも思ったことはない、そう言うのだとしたら偽善にもほどがあるという話だろう。

最初のうちは葛藤くらいはあるのかもしれない。

会いに行く気持ちはある。
もちろんその気はある、しかし、時間が取れない、今の仕事が一段落すれば、そのうちまた顔を出す、そのつもりだ。

その葛藤は、時間の経過に連れ徐々に減衰していく。

施設にお金を払っているだけで十分ではないか、そんな風に自らの内に沸き起こる咎を打ち消し続けるうち葛藤は更に減衰し、施設に親があることすらうっかり忘れてしまう、そのような一種の均衡状態へと至る。

だから、できればもう見たくない。
この現実から遠ざかっていればその間、心は平和だ。

そうなるような人がいても不思議はない。

親が死ねば、大往生。
めでたし、めでたしとなる。

生身のリアルな諸問題がやっと終焉を迎える。
葛藤は完全収束し記憶の彼方。

盆や命日には、情感たっぷり手を合わせるようになる。


我が身に引き寄せて考えてみる。

幸い私は自由業。
胸を張れることではないが、合理性も省力性も追求しない時代遅れの書類屋稼業。
有給休暇はゼロであるが、その気になればなんとか休める。
親に寂しい思いをさせたくはない、そう願ってもいる。

しかし、そんな私であっても、具体的に想像すれば仕事と介護の両立は生易しい話ではないと分かる。

だから、せめて定期的な面会くらいは、となるが、もし万一、仕事に困難が訪れればそれもままならない、といったことにもなりかねない。

親にしてあげられることについては、突き詰めれば、知れている。
子が日常に翻弄されているのであればなおのこと。
状況によって左右されることであり、薄情などといった話ではない。

追いつ追われつする日々のなか、最期まで徹底して親を優先する、と腹を括れる人はそうそう多くないのであろう。

そこまでの事態を想定して、そのときに余力保てるよう、今から準備しておかねばならない。


翻って、では私が、老いたとき。

別に甘えようとは思わない。
昔話しながら、傾聴ボランティアと一緒に線香花火でもしてほっほっほと退行の愉悦に浸る。
それも悪くないだろう。

しかし、子らが二人して一向に来ない、どちらも来ないとなれば、これは、待ち遠しいことであるに違いない。

なかば諦めつつも、もしかしたら、この週末だろうか、月末だろうか、誕生日には、そのように日めくりで子らが姿現す日を待ち続けることであろう。
やはりどうやら、子の顔を見る以上の楽しみはないようだ。

命日になってから駆け付けても、もはや私は待っていないどころか、どこにもいない。

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