1
貧困子育て世帯がこの20年で倍増。
そのような見出しが目に入って毎日新聞を手に取った。
都道府県別のデータを見ると大阪は沖縄に続いて貧困率が全国第2位。
子育て世帯のうち20%以上が最低生活費にも事欠くレベルの収入で暮らしている。
貧困が大阪に根を張って、黒い枝葉をたわわ茂らせていく。
その勢いは止まらない。
20%という数字がネガティブな数値としてはあまりに巨大であり、80%弱の世帯は何とか暮らせる収入に達しているのだから御の字ではないかと深刻さからつい目を背けたくなってしまう。
大阪を覆っていく貧困に歯止めがかかる兆しはどこにもない。
犯罪発生率についても大阪市内各地域が軒並み全国トップクラスの位置を占めている。
市内のどこを見渡しても、くたびれ感とささくれ感の相俟った傷口だらけといった様相を呈している。
もはや見慣れた光景だ。
2
先日「エレナの惑い」という映画を見た。
映像が素晴らしくどのショットも絵画のようであって目を引くのであるが、それに加え、音の使い方が絶妙で、この映画においては、貧富の隔絶が音によって見事に描き分けられている。
富裕者の家は青々と茂る緑に囲まれ、朝の到来は鳥の鳴き声によって告げられる。
空間は静謐であり、広々と開かれ、日差し降り注いで明るく、そして、空気が澄んでいる。
一方、隣接する貧困層の地区は猥雑であり混沌としている。
交通の往来は激しく物々しく、建物がひしめき殺風景であり、狭く湿ってノイズが絶えることなく落ち着かない。
そこで描かれる対比によって思い知らされる。
貧富の区画は生活圏のノイズの有無と密接に関係している。
便利だとか不便だとかは次の話。
それとは次元を異にする事柄であって、豊かさは、高架下や幹線道路脇や線路沿いのガヤガヤとは相性悪くそこに背を向け、山手へとまっすぐ向かって静謐と結びつく。
対照的な構図のなか、お金が絵の具となって映画の登場人物が塗り分けられていく。
観る者も同時に、各登場人物の色合いに濃淡様々呼応して、自らが有する色合いに気づかされることになる。
その意味において、お金に関する考え方について判別するリトマス試験紙のような機能を有する映画であるとも言えるだろう。
そして、お金が磁力を放って、目には見えない暴力を招き寄せる。
豊かさは静謐と結びつき、しかし一方で、お金は暴力と背中合わせ。
薄ら寒いようなシーンで映画は終わる。
ノイズの側の図々しさが、静謐をあっけらかんと侵食してしまう様を見届け、観る者の背は多かれ少なかれ凍りつく。
3
昨夜も走った。
参加した料理教室がとても良かったという話を聞かされる。
主宰者が女性としてお手本としたいような魅力的な人物だったという。
料理をはじめとする家事全般に渡って一手間二手間惜しまず、生活のあらゆる部分に目を配って大事にし、更には、昔ながらのしきたりなどを素直に尊ぶ見識をも備えた方であり、ほんのひとときの交流であったが、人としての基本に立ち返り、大切な在り方を再認識させられた。
そのような話を聞きつつ、当たり前のことではあるが、人一個についても人それぞれであるのだと痛感させられる。
人の内面においても静謐と喧騒があって、その人自身の豊かさ、貧しさがそれらによって明瞭に色分けされる。
街の景色は変えられなくても、せめて個としては、緑にあふれ風通しよく空気の澄んだ明るい心を保っていたいものである。
もちろん、これもここだけの話である。