1
少し寝坊してしまった。
朝6時、クルマで出発。
窓を全開にし武庫川沿いを走る。
手荒な感じで車内は緑と水の香たたえた朝の空気に包まれた。
左手を見れば、川沿いを多数のご老人が連れ立って北へ南へと散歩している。
友だち連れや夫婦連れ、すれ違う度、どこかで挨拶が交わされる。
何とも平和な光景である。
初夏の早朝、空は晴れ渡り、景色だけ見れば実に清々しい。
しかし月曜。
勤めに出るのは、それなり気重。
今朝もJR宝塚線で人身事故があった。
2
昨晩家族で久々にお好み焼きを食べた。
お代がびっくりするほど高かった。
美味しかったが、その店のことは忘れることにする。
微細な事柄を挙げ募って文句をつけても仕方ない。
何かを悪く思って過ごすと自分に毒が回る。
悪感情抱かされる一次被害に引き続き胸糞悪くなる二次被害まで被るのであれば自身があまりに哀れである。
忘れてしまって、二度と触れない、それが正しい作法だろう。
それに、一旦悪感情を手放せば、そう遠くないうち別の観点が浮上し違った像に気づくということもある。
物事は局所短期的な視点だけでなく、大所高所から長期的な視点においても観測されるべきなのだ。
怒りは短気、視点は文字通り狭く短期で凝り固まっている。
ろくなことはない。
3
かつて私がガキデカと呼ぶ男があった。
寸法も風采もガキデカそのもの。
しかし気の利いたギャグなど飛ばさない。
押し黙り、陰湿陰険な目で告げ口ばかりするヤな男。
そういった印象であった。
キャラとしては絵に描いたような、凹であった。
ところが幾星霜、へこんだ部分がひっくり返り、ある世界で凸となった。
明確に凹であった自らと、現在の凸を直線で結び付けられたくない。
おそらくはそのように思ったのであろう。
それに凹であった当時の同級生など、凸になった今の彼から見れば、おしなべて凹に見える。
だから、星光の同窓会には鼻もひっかけない。
星光に在籍していたその歴史ごと焚書にしても構わない、それくらいは思っているに違いない。
同窓会を呼びかけた時、強く忌避しこちら側を蔑むような反応が返ってきたことを今も忘れない。
同窓会のとりまとめをしていた私は、皆を代表して侮蔑を投げつけられたようなものであった。
不快極まりなく、当時はしばらく憤怒が鎮まらなかった。
しかもそのやり方が、三つ子の魂百まで、人を介した告げ口であったものだから、さらに忌々しい。
ただ、一縷哀れみのようなものを覚えたのも確かなことであった。
誰であれ、秘して伏せたい過去というものはあるものだ。
星光に対し縁起でもないと嫌悪するのもまた人の自由である。
それで彼の活動についても、どのみち陳腐で空虚なものであろうと高を括って深く知ることもなかった。
ところが、先日のこと。
たまたま彼の話題が出て、思い出したのも機会であると、そのアウトプットに触れてみた。
見事なものであった。
ケチなどつけようがない。
このようなアウトプットが為せる高みに彼はあって、審美眼を曇らせることなく維持し続けなければならない彼の事情を推し量れるような気がした。
風変わりであるとは感じるもののその在り方に敬意払い、どこかでそのアウトプットに触れる機会があれば手放しで堪能させてもらいたい、そのように思えた。
やはり物事は、局所短期的な視点だけでなく、背景を広くみて長期的な視点においても観測されるべきなのだろう。我々にとっても、誰にとっても。