その時々で目を注ぐ対象が変わっていく。
息子らの中学高校時代はいつの間にやら過ぎ去って、二男が高校を卒業し一年以上が経過した。
七年前、二男が星光生になったとき、わたしは張り切った。
星光がもっといい学校になれば素晴らしい。
そう思って同窓会の活動にも参加して、結構マメに顔を出してきた。
いろいろな人と顔を合わせ、しかし総括すれば、まあ遠い感じの距離感は遠いままだった、という気がする。
もちろん星光であるから愛すべき方々ばかりであった。
が、だからこそ33期と接するときの身内感覚の希少さを痛感することになった。
よほどの縁と相性に恵まれるか、学校時代に余白の時間も含めて一緒に過ごすといったことがない限り、そんな身内感覚は生まれないのだった。
同窓会では会報の原稿のとりまとめ役を担った。
原稿をください、とお願いの連絡をするのであるが、同窓生が相手と言っても要は見知らぬ他人であるから連絡には気を遣わねばならず、そして、メールを送っても返信がない、ということが度々あった。
あれ、メールが届いていないのか。
それで間を置いて再送するが、これまた失礼のないよう注意を払わなければならなかった。
その繰り返し。
沼地に足を取られたようなものであり、結局は草臥れ儲けが積み重なった。
礼を尽くして無視される訳であるから、つまりそこにまともな人間関係は存在しないと言ってよかった。
何かが噛み合っていなかった。
だから、長年この活動に従事しても実るようなものは何もなく、下手すれば単なる徒労に終わり、おまけに誰にとっても益はない。
そうなるのではとの疑念を拭えぬまま役割をこなし、しかし今年は文面だけ書いて発信役を38期の後輩に託した。
で、聞けばやはり同じく返信がないという状況は変わらないのだった。
これで結論に至らねば、辞書から結論の二文字を消さねばなるまい。
人生は一回きりで残された時間は限られている。
どうせ真面目に向き合うなら、目を注ぐべき世界は他にある。
だからそろそろ潮時。
そう思うようになった。
先日、中一になったばかりの息子が、あっという間、いま東京にいて大学二年生になっている。
縦につながる同窓会が何か息子の足しになるのでは。
それが同窓会活動に参加する際の動機であったが、息子からすれば大きなお世話といったような話であったかもしれない。
66期だけでも十分に豊かな人間関係の陸地が形成されて、大学が早稲田であるからちょっとした大陸にも乗り入れているようなものとも言える。
それに必要があれば同窓であるかどうかなど問わず、世界スケールにて自力で縁を見つけ出してくるだろう。
このようにして中高からその先へと、息子から一歩遅れて親の目もようやくにして移っていくのだった。