KORANIKATARU

子らに語る時々日記

地獄の釜のサムゲタン


大阪某所、寂れて廃墟となったかのような町を歩く。
映画セブンの舞台となった陰鬱な町の光景を彷彿とさせる。
どことなく不穏で猟奇な雰囲気だ。

大阪湾に接する河口から時折風は吹くものの、ドライヤーの温風みたいに生暖かであり、煮え滾るような暑さを和らげる効果は一切ない。

ツバメ君がグーグルマップを矯めつ眇めつしているが、目的地になかなか至らない。

生活の気配のない長屋や今にも崩落しそうな簡素な建造物が並ぶ町をぐるぐると巡る。
すれ違う人はない。

電話で道順を聞いて、ようやく目的地である修理工場の判別がついた。
事務室は二階にある。

履物を一階で脱がねばならないが、床を見てしまえばためらいを隠せない。
来客用のスリッパといった気の利いた備えはない。

しかし、これでも事務所の長である。
ツバメ君に根性見せるみたいに平然と足を踏み出した。
彼もそれが当然であるように後に続く。

二階事務室に空調はない。
熱せられた空気に、我ら軟弱な生がどやしつけられているかのよう。

息も絶え絶え、何とか手短に用事を済ませる。

挨拶もそこそこに辞し、まっすぐに駐車場に向かう。
途中、ゆっくりと巡回するパトカーとすれ違い、なぜかほっとする。

コインパークに表示された金額は百円。
何時間停めても、最大で五百円だ。
安いがしかし何時間も滞在できるものではないだろう。

ツバメ君がクルマを発進させる。
空調を最大出力にする。
車内の熱が徐々に冷まされていく。

あと二度ほど、ここを訪れる必要がある。
ツバメ君、道は覚えたね。
後は任せたよ。


終業後、帰宅途中に上方温泉一休に寄った。
蒸気風呂の椅子に身を任せるように腰掛け、疲労を揮発させていく。

熱さがこらえられなくなる度、北極のシロクマくんでもぶるぶる震えるであろう冷たさの水風呂に何度も飛び込む。

徐々に心気が回復していく。

書類屋にとっては体調がすべて。
特に夏場は意識的に疲れを抜かないと、翌日翌々日と知らぬ間に尻すぼみの仕事となってしまう。

小一時間後、私はつややか、生まれ変わる。


家内が、夏バテ対策の料理を用意してくれている。

子らのリクエストもあって、週末にうなぎやステーキなどが続いたが、今日は私好み、玄人好みの滋養食であった。
通で体調を大事にする人なら、誰であれ、夏はここに行き着く。

地獄の釜の中のように、サムゲタンがぐつぐつに煮え滾っている。
これはコリアンタウンでテイクアウトできる上物だ。

熱の食があれば、涼も必要。

脇には、清涼そのもの、夏の脱水にこれほど効き目ある吸い物はないであろう、水キムチが添えられる。

そして、箸休めには新鮮な蒸し豚と真っ赤な辛タレ。

日本料理が心身に調和をもたらす食だとすれば、中華は猥雑とも言えるほどの多様さへの道を開き、韓国料理は、苛烈なほどの、荒ぶる何かを呼び覚ます。

男子にとっては活力そのもの、女子には美容。
それが食を通じてもたらされる。
つまり、活力は美。
活力と美の等式が、韓国料理を介して浮き彫りとなる。


夏になって交互にガーデンズを訪れ一人映画を楽しんでいる長男、二男の体調もこれで整う。

ひーひーはーふー言いつつ、男衆で平らげる。

長男については、まだしばらく学校が続き、二男は水曜から黒姫山荘だ。
我々の頃とは異なり、いまは学年を二班に分かち現地に赴くようである。

一茶史跡、野尻湖ナウマン象記念館、松代大本営跡、川中島古戦場、善光寺などを観光するのかつてと同じ。

しかし、我々のときと違って、最終日にキャンプファイアーとスタンツがある。
楽しそうだ。
いい思い出がたくさんできるに違いない。

大阪下町の世間知らずであった私は、夏の信州の値打ちを知らなかった。
息子においてはそうであってはならないと、二男に説く。

自分がどこへ行き、何を見るのか、ちゃんと調べて目に焼き付けるのだよ。


九時になって長男はロードワークに出かけた。
私は二男と、ザ・シネマで放映される「ユナイテッド ミュンヘンの悲劇」を見る。

ピッチに向かう選手らの高鳴りのようなものについて二男と話す。

これが男の醍醐味、これがあっての男冥利。

いい飯食って、ピッチに向かう。
これこそ男子の幸せだ。

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