外で食べようとなってぶらり歩いて家を出る。
日中の蒸し暑さは幾分やわらいでいる。
公園では花火で遊ぶ親子が見える。
夏の夜の風物詩、小さくはぜる火花が子供たちの瞼に焼きつき長く彼らの記憶に留まることになる。
静かな雰囲気の焼鳥屋を選ぶ。
二男の好物が揃って、落ち着いて食事ができる。
長男は早朝から活発に動いて終日別行動。
今日はフラッグフットボールの練習だということで京都に出かけ頭脳明晰身体能力抜群の友人ら精鋭と過ごしている。
家内によれば、彼ら一団は京都から戻ったその足で押し寄せる嵐のように一時我が家に立ち寄ってしばし滞在し、そしてまた嵐のように去って行ったという。
若さほとばしるそのエネルギーが微笑ましい。
ビールを2つ注文し、料理の注文は二男に任せる。
さすがに連休中日の日曜日、店はほぼ満杯だ。
さて、どれどれ、成績はいかにとわたしが切り出した。
夏休みを前に成績表はとっくに配布されているのに二男をそれを声高にしない。
照れることなく壇上にすっくと立ってその成果を、ほれみよこれみよ、とアピールする長男とは正反対の性格。
聞かれるまで口にしない二男であるので、その成果は何でもないことのようにただただそよ風に吹かれるだけとなる。
褒めようと思うときには過去となり旬のトピックではなくなってしまっている。
どちらの仕方がいい悪いという話ではなく、互いは互いからその良きところを学ぶべきだということなのであろう。
互いがお手本となり得る兄弟の組み合わせ、どちらも長所を有しそれを学び合う、これはもう神様の思し召しと言うしかない。
来週からは山荘の合宿が始まり、火打山に登ることになる。
もちろん二男は当たり前のように手を上げて頂上を目指すアタック隊に志願した。
我々の頃と異なり火打山については全員が頂上を目指す登山をしないようである。
家内の饒舌をかいくぐり、男どうしぽつりぽつりと言葉を交わす。
夏の英語の自由研究では映画を取り上げるつもりだという。
題材として「ジャック」か「マイ・フレンド・メモリー」どちらにしようか思案中なので両方を借りるよう二男に頼まれわたしは快諾した。
両作とも心震える名作だ。
少し思い出しただけで涙ぐみそうになる。
二男も同意見。
彼にとってもこれまで見たなかもっとも感動したのがこの両作だ。
良き食事を終えて家族で並んで歩いて家へと向かう。
まもなく家というところ、急に真実に目覚めたかのように二男がきっぱりと言った。
英語の自由研究は「ロッキー」をテーマにする。
二男が秘める熱さのようなものが垣間見えた気がした。
兄弟二人、表出のさせ方は異なれど、底流にある熱いものは共通しているようだ。