KORANIKATARU

子らに語る時々日記

親バカの前言語的回想


先日のスクールフェアで学校を訪れ、穏やかな秋の陽気のもと車椅子に乗った方も結構な数あったのではないだろうか。

車椅子に乗ってもらいその実際を知ってもらう。
福祉施設の協力を得てそのような企画が校庭の一隅で催された。

下っ端の二男は勧誘役を買って出た。
結果、多くの方に車椅子を体験してもらうことができた。
福祉活動の啓蒙にささやか一助を為したと言えるだろう。

今年のGWに家族で東京観光した際、二男は車椅子を押す男性を見かけた。
一人で二脚を押している。
人混みのなかたいへんそうに見えた。
駆け寄って助力を申し出た。

ビルの入り口まで押すのを手伝った。
彼らは四国から観光でやってきた父子であった。
息子らが車椅子に乗りそれを父親が押していた。
なぜ兄弟揃って車椅子なのか二男は聞かなかった。

強い日差し降り注ぐお台場の人混みの中、ビールフェアが行われていてそのとき私はビールを飲んでいた。
誰かと話しながら車椅子を押す二男が視界に入って、私は目をこすった。
何をしているのか瞬時に分かるはずもなかった。

後で聞いて経緯を知った。

前を過ぎようとしていたその父子に二男が声をかけ異なる来歴の者らがそこで一瞬交差した。
僅かばかりの時間を横並びで歩き、その父子にだって誰にだって奥深い背景があるのだという当たり前のことを二男は直感し知ったことであろう。

数十年先、もしそうなるのであれば、二男は私の車椅子を押してくれるだろう。
そしてこの話を、そのとき暮らす施設の仲間に私は何度でも語ることになる。


このままでは更に太って醜悪になっていく。
家内はそんな私を見るに見かねた。

夜中に支度し家内が朝昼二食分の糖質制限弁当を作ってくれる。
おかげで徐々にカラダが締まってきた。

夜も家内の手作りを食べる。
昨晩はかわはぎの鍋。

鍋をつつきつつ、不在の長男について話す。
そろそろホストファミリーとはお別れになる。
別れの夜、生徒は感謝の気持ちをしたためたカードを贈り、そして何か特技を披露することになっている。

彼にはダンスがある。
いよいよ訪れる別れの寂しさを胸に押し留めはじけて躍動し、拍手喝采を浴びているに違いない。
外は冷え込み窓の向うに目をやれば小雪が舞っている。
異国の団欒の灯がいつまでもそれを照らす。

家内とともに学祭のビデオを見る。
中学生が披露したダンスのメイキングビデオである。
長男の動きを目で追う。
前に出て手足弾ませるだけでなく後景にも下がって下級生に助言を与え振り付けを教えたりしている。

本番で見せたダンスに到達するまでの過程が一つ一つこまかにビデオのなか綴られている。
我ら家族にとって貴重な映像だ。
それは単にダンスを映したものではなく、長男が発揮するいっぱしのリーダーシップについての記録映像と言える。

選曲し人選し振付けを合わせセンターで踊った。
本番はラグビー県大会の前日であった。
ラグビーの試合よりも緊張したに違いなかった。
結果、拍手喝采であった。

数十年先、老いては子に従えとばかり、耄碌した私は長男の助言にふむふむと頷いているのかもしれない。
もはや施設の仲間に何度でも語るなど土台無理な惚けてしまった前言語状態。

しかし、言葉にはできず「うう」とだけ声を漏らす私の内奥のなか、それら映像が流れ続けていることは間違いのないことであろう。
私は喜んでいるに違いない。
だからその「うう」を今から前もって訳せば、嬉しいぜまったく、という以外にはあり得ない。

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