前日温泉に入って英気が養われたからだろう。
最強主婦が復活を果たした。
日曜なのに朝6時前には起き出し、家内は海老天を揚げ始めた。
同時にケッチャプライスの上に濃厚チーズやエビなどの具を散りばめてドリアを焼き、刻んだ野菜をたっぷり巻いてベトナム風春巻きもこしらえた。
揚がった海老天はアボガドと添い寝する形で横たえられ海苔で巻かれて幾本もの海苔巻きとして仕上がった。
まもなく息子が目を覚まし、すでにそのとき食卓の上にはできたてほやほやの朝食が整然と並べられていた。
息子が食べる間、多めに作って余った海苔巻きを家内は隣家に差し入れ、残った料理がわたしの朝食となった。
それでも十分お腹が満ちた。
この日は65期の卒業式で当然66期は出席せねばならず、式を終えて部活先輩らとお別れ試合をし、そのあと66期の部活仲間全員で過ごすというから実に誠に彼らは仲がいい。
その連帯の強固さは生半可なものではなく、だからこの日、風呂に入って夜も皆で一緒に食事するであろうから二男の帰りが遅くなるのは織り込み済みの話であった。
二男を送り出し、わたしたちは日曜朝の恒例アクティビティとなったジムへと馳せ参じた。
たっぷりカラダを動かし、家に戻ってもまだ昼前。
早く始動すると一日が長くなる。
今日も温泉にしようと話し合い、有馬グランドホテルに新しくできた和楽に電話するも夜まで満席とのことなので、諦めて近場の風呂でしのぐことにした。
快晴の行楽日和にも関わらず熊野の郷は混み合っていた。
せっかくの休日、遠出するより休養といった考えの人も少なくないのだろう。
サウナでたっぷり汗を流した後は露天の湯船につかって天を仰ぎ、綿毛のような雲がゆっくり空を渡る様子をぼんやり眺め空白の時間に憩った。
湯を上がった後、心身ともにゼロ・リセットされたかのようであって気分すこぶるよく、帰りの車中、疲労を抜くことの大切さについて家内と語り合うことになった。
自然と今夜はすき焼きにしようとの話になって、良い肉を求めるなら山垣畜産。
そのままアクタへとクルマを走らせた。
帰宅してすぐ手分けし夕飯の支度を整えた。
赤ワインを開けて乾杯し、大ぶりの肉を鉄鍋に投入した。
すき焼きってなんでこんなに美味しいのだろう。
次から次へと家内が肉を投入し分け合って食べ、その度にんまり顔を見合わせることになった。
心ゆくまでいい肉を味わっても家だと安上がり。
たっぷり食べて胸まで満ちた。
食後はドラマ。
NHKの『心の傷を癒やすということ』の第3話と最終回を録画してあった。
家内とまずは第3話を見始めた。
主人公が病床に伏す父と言葉を交わす。
そのシーンでわたしの目には涙が浮かんだ。
息子が貰った学芸賞の賞状に眺め入り、病床にて父がひとり微笑む。
このシーンでわたしの目から涙がこぼれ出た。
息子の立場として泣け、父の立場としても泣けた。
だからとめどなく涙が溢れ出ることになった。
流した涙についてそのように家内に説明しつつ、続けて最終回を見始めた。
家族を残し若くして先立たねばならない主人公の無念が胸に迫る。
もはやわたしは嗚咽を避けられない。
残された家族の思いも重なって嗚咽が嗚咽を呼ぶ。
泣き止むなど到底不可能という状態にわたしは陥った。
家内も泣くがわたしの方がもっと泣く。
だから家内は画面だけでなくわたしにも注目することになった。
観終えて家内に説明を施した。
究極の別れはあまりに辛く悲しく苦しいほどであるが、それは決して他人事ではなく不可避であって、いつどこにでも生じ得る。
なんて切ないことだろう。
せめて順番通りにと願いつつも、いつどことも知れぬその地点まで誰もがじわじわと運ばれていく。
すっかり忘れていたが、わたしたちも例外ではない。
描かれる死を我が事として捉え、それで家族を想えば命が尊くて仕方なくとめどなく涙あふれるのも当然のことだろう。
まだ死ぬわけにはいかず、家族のために為すべきことが無数に残っている。
そうは思うがしかしいつ死と出くわすことになるのか定かではない。
だから与えられた時間に感謝し最善を尽くすのだと腹を括るしかない。
そんなことを考えて泣いていたのだと家内に説明し、説明しつつもさっき経てきた感情がぶり返しまた何度も涙ぐみそうになった。
先人の足跡からわたしたちは大切なことを観取することができる。
時にその教えはとてつもなく貴重で涙なくしては語れない。
ドラマを通じそう深く学んだ日曜となった。