仕事が一段落し休憩をとるためクルマに戻った。
まもなく午後2時。
ずいぶん遅い昼食となる。
近くに海があった。
工場地帯を抜け、港の船着き場にクルマを寄せた。
空は澄み渡り、風が波間を渡ってキラキラと光り、遠くに見える汽船が時間の歩みを緩やかなものにしていく。
さっさとお昼を済ませそこらをぶらり歩くことにする。
お弁当を開けると今日は栗ご飯。
先日、丹波篠山で仕入れた栗がわたしにも配されたのだった。
それに、さわらとえのきの蒸し焼き、いかのわたで炊いた大根。
和心満ちるおかずの構成だ。
食べ終えて手を合わせ、海に向かって歩き遠くに目をやる。
日頃、30センチ四方の視界で過ごしている身。
広々とした景色のなかに身を置くだけで、心気換気され自らの容量が増えていくように感じられる。
自然のゆらぎにたっぷりと癒やされて、クルマへと引き返し、わたしは足を止めた。
クルマのドア付近を飛び回っているのは赤とんぼ、そう思ったがよくみるとスズメバチだった。
スズメバチの機嫌を損ねてはことである。
秋に獰猛さを増すと言われるから特に注意が必要だ。
数歩の距離を置いて立ち、タイミングを見計らう。
ハチがドア付近から車体の前方へと移動した瞬間をわたしは逃さなかった。
アクションスターさながらの俊敏さでクルマに駆け込んだ。
九死に一生、ことなきを得た。
クルマのなかは安全地帯。
スズメバチなど恐るるに足らずである。
ほっと胸撫で下ろし、ゆっくりとクルマを発進させる。
そして港の駐車場出口で一旦停止。
一難去ってまた一難。
窓を開けようとして、そこにもスズメバチがいるのにわたしは気づいた。
獲物でも探しているのだろうか。
旋回するヘリのように精算機の周囲をハチが飛び回っている。
こういうのを急迫の事態という。
わたしはゴクリと息を呑み込んだ。
自然のゆらぎは時に生易しいものではない。
不用意に窓を開ければ、こちらの方が飛んで火にいる夏の虫となる。
スズメならいざしらずスズメバチが車内に入り込もうものなら、火だるま同然。
駐車料金は定額の300円。
千円札をマシンに呑み込ませてお釣りが出てくるのを待つより、百円玉を3つ放り込む方が早いに決っている。
わたしは百円玉三枚を握りしめた。
投入口に狙いを定め、スズメバチがよそ見する瞬間を息潜めて待つ。
何かの昆虫が通り過ぎたのか、スズメバチの注意が一瞬、逸れた。
わたしはその瞬間を捉えた。
いちにのさん、窓の隙間から手を伸ばし駐車券を差し入れ、すかさずコインを投入していったがすべてがストップモーションのように見えた。
300のデジタル表示が200となり100となり0となってミッション・コンプリート。
わたしはやり遂げたのだった。
密封された安全がハチのアジトを後にする。
途端、FMの音声が耳に入ってきた。
流れている曲は、JUDY AND MARY の ミュージックファイター。
そのサウンドにのって、元来た道を引き返す。
人知れずわたしは戦い、だからこの復路は凱旋パレードのようなものとも言えた。
戦いはいつどこで降って湧くか知れたものではない。
のどかな自然の光景のなかにあってさえ、生きることは簡単なことではない。
そう悟る午後のひとときとなった。