下の息子の宿題がテキストデータで作成する作文だった。
USBで提出だというので、適当なものを収納棚のひきだしの奥から探し出しパソコンにつないで驚いた。
そこには800枚もの写真データが入っていた。
ラグビーの写真を誰それからもらったという話を家内から聞いたのは遠い昔で記憶は微か。
当時見ようと思って一旦引き出しに仕舞われ、結局そのまま奥に引っ込み、誰の目にも触れず年月が過ぎていったということになる。
下の息子の宿題がなければ何だか分からない小物体として半永久的に捨て置かれ、日の目を見ることがなかったかもしれない。
だからまさに発掘された写真と言えた。
青空と芝生に挟まれて、その世界のなか現在進行で躍動する息子の姿があった。
何もかもそっちのけ。
1枚1枚クリックし、凝視してから次に進む。
写真を繰るに連れ、グラウンドで奮闘する我らのファイターに動きが生まれ、その被写体を熱く見つめていた瞬間瞬間の記憶が次第に蘇ってくる。
試合があるたび夫婦揃って観戦に出かけた。
彼はわたしたち小さな家族のスターであった。
思いがけず、スター復活。
何枚もの写真を家内に送る。
家内もおそらく一枚一枚を凝視することになるに違いない。
記録し残せば、忘れた頃に感動がよみがえる。
いわばあの瞬間の幸福が、時間を超えて花火のように打ち上がり今を鮮やか彩るようなもの。
そしてこの先何度でもこの花火がわたしたちの「今」を明るく照らしてくれることになる。