売り出しがあったので朝一番。
クルマを駆って家内とともに大阪市内へと赴いた。
青年へと差し掛かる息子らに少しでも見映えする服を着せたい。
しかし悲しいかな予算には限りがある。
売り出しの機会を逃すわけにはいかなかった。
食事の際には毒見役。
服選びの際にはわたしがサイズ合わせの標本となる。
家内の指示に従って、あれを着てこれを着て、子らの寸法に合うかどうかを見定める。
楽な作業ではないが、彼らの秋の装いが整うのであればなんのそのというものであった。
満足行く買物ができせっかく近くまで来たのでと鶴橋のアジヨシで冷麺を食べた。
世界に食べ物数あるなか、おそらく冷麺が最高美味。
そしてアジヨシの冷麺はここら界隈で比肩する店がないほど抜きん出ている。
食事を終えてもまだまだ時間があった。
せっかくの日曜日、映画でも観ようと『ロケット・マン』上映の劇場を探す。
いまからだと神戸ハーバーランドがちょうどいい。
クルマを家に置き、神戸まで電車で出かけた。
車中、家内と並び合って座り席を予約する。
館内はほぼ満員。
前から3列目、端っこの席にしか空きがなかった。
続いて正月に家族4人で泊まる宿を物色し、意見を調整しつつ合意に至り、無事予約完了。
電車のなかでも仕事は捗る。
懸案事項が片付き、車窓の向こうの青空同様、気持ち晴れやかとなった。
以前観た『ボヘミアン・ラプソディ』のときもそうであったが、名曲誕生の瞬間に触れると涙腺が緩む。
エルトン・ジョンについては名曲の品揃えが段違い。
見せ場は無尽蔵とも言え、その度、目に涙があふれてしまうので、平静を装うのに難儀した。
わたしがはじめてエルトン・ジョンの曲に触れたのは大学生のとき。
暇だったのだろう、下宿先の野方から高田馬場までたまに歩いて通って、その際もっぱら耳にしていたのがエルトン・ジョンであった。
結婚し子ができてからもよくクルマで流した。
幼かった子らも気に入って、エントル・ジョンと間違ってその名を覚えたが、それが可愛く、わたしたちは長く訂正しなかった。
名曲がとめどなく運んでくる懐かしい情景と、映像によって紡がれる名曲秘話が結び合わさり、それら名曲群への愛着は更に一層深まることになった。
そして、それら名曲たちの連なりによって、エルトン・ジョンの心情が透かし見え、彼が無名の存在から大スターとなり、数々の葛藤を経て、やがては等身大の自分へと戻っていく過程が描かれる。
ラストシーン。
安寧の境地に遂に至ったエルトン・ジョンが、愛情に恵まれなかった自身の少年時代とハグするシーンには、全シーンがパノラマで立ち上がるかのような震えを覚え、観る者は感涙押し止めようがないだろう。
そこでエンディングにエルトン・ジョンがI'm Still Standingと高らか歌うのであるから、涙を誘った感動が一気に高揚感へと昇華され、実に清々しい後味が残った。
『ラ・ラ・ランド』や『ボヘミアン・ラプソディ』のときもそう思ったが、家内と共有の良き映画体験になったことが嬉しい。
映画館を出て、せっかく神戸に来たのだからと長田に足を向けた。
不朽の名店、平壌冷麺を訪れるのは2年ぶりのことだった。
先ごろ、あまから手帖にも紹介されていて、機会あればまた行こうと家内と話し合っていたのでちょうどよかった。
世界広しと言えど冷麺が美味の筆頭格。
そのなか平壌冷麺に比肩し得る店などここら界隈には存在しない。
まずは辛めの味付けがおいしいホルモン類を前菜とし焼いて食べる。
ここは冷麺だけでなく肉も美味しいのだった。
箸やすめにロースを頼む。
余技とも言えるこのロースで、そこらの焼肉屋をも凌駕する。
そしてしめに冷麺。
あいも変わらず実に美味しい。
もちろん家内は二男の夜食も忘れない。
注文した焼肉丼にはハラミが載るがそれだけでは不十分。
家内は別にロースを注文し、上ミノも注文した。
家で仕上がった特製焼肉丼は二層構造。
上段にロースが載り、中段にはハラミが潜んでいる。
そして上ミノはセパレート。
別の皿にて差し出された。
二男が食べる。
二人してその顔を凝視する。
どう、美味しい?
おいしさで明るく灯がともったようになる息子の顔を見て親は大満足。
夏休み最終日、一杯の焼肉丼を囲んで家族団欒の時間が過ぎて行った。