今朝は132人もの小学生たちが公園に集まった。
夏休み早々、昨年の最高記録120人が塗り替えられた。
ラジオ体操が終わると当番が手分けして後片付けをし花壇への水やりを始める。
近隣の有志が夜明けとともにすでに公園の掃除を済ませている。
住民各陣営によって手入れが行き届いている。
だから公園に人が集まり活気が保たれるということになる。
大阪から西宮に越してきたのは10年以上も前のことだった。
往来の清潔さにまず驚いた。
吸い殻や空き缶、路上に綾なす滲みや陰影のようなものがほとんど見られない。
自浄作用というのだろう。
街が清潔に保たれるよう住民がそれぞれの役割を果たしている。
心ない誰かがタバコをポイ捨てしても、気づいた地元民がそれをすぐさま掃き清める。
たとえば、駅近くの美容師のお兄さんなども文字通り街の美化に貢献している。
始発が出る前であるから朝の5時頃。
駅前から美容室まで距離にして二百メートルほどだろうか。
その間の路上のゴミ屑を彼はひとり拾って歩く。
たまに公園近くでもゴミ拾いする姿を目にするので、彼が掃除する範囲は思った以上に広範なのかもしれない。
わたしも見かけるし子らも見かけるが、なにしろ朝の5時であるから人知れず彼は掃除していることになる。
心がけをアピールするなら、朝5時ではなく例えば6時にした方が大勢の目に触れ口の端に上り美容院の売上にもつながるといった期待も高まる。
が、真冬であれば暗く冷え込み人影ほとんどない時間帯から彼は起き出し何年も何年も掃除を欠かさない。
となると、アピールといった皮相な類の話ではないのだと誰にでも分かる。
彼の職業観と地域愛がそこに表れている、そう見るのが素直な見方であり真相を捉えていると言えるだろう。
誰かをキレイにする仕事である。
だから当然、お客さんが通ってくる道をはじめ店が立地する街自体もキレイにしたい。
そういう思いが根底に横たわっている。
だから毎朝欠かさない、ということになる。
息子らにとっても物言わぬお手本とも言うべき存在であり、学びを得られるからありがたい。
真摯な職業者は単に仕事するだけでなくもっと深い部分に思いを吹き込み、根のような場所にじかに働きかける。
そんな人々が住む街だから、子どもたちは元気で街は明るくどんどん住みよくなっていく。