台風接近の朝、7時半から業務を開始し電車がまだ動く午前10時半には終業とした。
わたしは一人事務所に残った。
台風が過ぎた後、クルマで帰るつもりだった。
夕刻頃の帰還になるとそのときは目算していた。
大した台風ではないのかもしれない。
朝方の穏やかな天気を見れば誰だってそう思っただろう。
景色が一変したのは午後1時。
以降2時間ほど、わたしは窓全面に映る特異な光景に目を奪われた。
轟音を伴って風雨吹き荒れ、眼前をいろいろなものが右から左へと飛んでいった。
まるで桜吹雪とでもいった様で地上の塵芥が宙を舞った。
そしてドスンと大きな落下音が頻繁にあちこちから響くのでその度に身をすくめることになった。
電線が揺れ、ときに大きくたわみ、ついにはもがれそうになるほど風に翻弄されていて、時折は電気が明滅するので停電も覚悟しなければならなかった。
実際、パソコンの電源は二度も落ちた。
同時中継するみたいに、家内が自宅の窓から見える光景をWeChatで送ってきてくれる。
公園の木は何本かなぎ倒されたようだった。
事務所は停電を免れたが、台風の影響で自宅は停電となった。
家に戻らねばならない。
雨が小ぶりとなり、風が弱まった頃を見計らい、午後4時半、ピークは過ぎたと判断した。
コンビニで念のために懐中電灯を買い求め、わたしは帰り支度をはじめた。
そのとき、岡本くんがするツイッターに目が留まった。
彼は43号線の大渋滞に巻き込まれている最中だった。
大型のトラックが何台も横倒しとなって道を塞ぎ、道路は機能していなかった。
岡本くんのツイッターをもし目にしていなかったら、知らぬが仏、わたしは飛んで火に入る夏の虫のごとく、道中で立ち往生することになっただろう。
経路を練るのが先決。
わたしはデスクに陣取りグーグルマップと睨み合った。
渋滞情報や通行止め情報が一目瞭然で、しばらく帰宅は無理と結論せざるを得なかった。
2号線は淀川と神崎川で遮断され、43号線も十三大橋もトラックが道を塞ぎ、新御堂と長柄橋は世界の車両すべてが集ったような混み具合となっていた。
もちろん電車は運転を見合わせたままである。
河川を挟めば、近くて遠い。
西宮に到達するには幾つもの河川を超えなければならないが、橋梁が機能していなければ為す術はなかった。
NHKのラジオ放送を聴きながら事務所で用事しつつ、ネットで西宮の停電復旧や道路情報に注視する。
もっとも役立つのはツイッターだった。
現地に有志の特派員があまねく派遣されているようなものであり、彼らが寄せるタイムリーでスペシフィックな情報にアクセスできるのであるから、有時においてこそツイッターは威力を発揮する。
夜10時、2号線の混雑度を表すグーグルマップの褐色が薄まったように見えた。
さあ帰ろうと意気揚々、クルマで2号線に入った途端に気持ちが萎えた。
みはるかす大河のごとき大行列。
うんともすんとも動かない。
ほんのたまに数歩前に流れるが、だるまさんが転んだみたいに、すぐにブレーキを踏まねばならなかった。
これでは先が思いやられる。
わたしは帰宅を断念した。
脇道にそれ渋滞を脱し、事務所に戻ってそこで一夜を過ごすことにした。
翌朝、岡本くんのツイッターを見る。
コンビニに品物はなく、彼が通勤に使う2号線は大混雑している。
もしあのまま帰宅していれば、今日事務所にやってくること自体も相当な骨折りだっただろう。
岡本特派員が発信する情報にわたしは助けられたようなものであるからこの場を借りて謝意述べたい。
二男の学校は今日も休みで、長男の学校は電車が動けば昼からとなる。
平穏無事な日常の再開は明日から、ということになりそうだ。