夕刻、阿倍野。
飯はいらないと家内にメールする。
そのとき家内は梅田にいた。
いまからそっちに合流する。
そう返信あった直後、やはり家に帰ると前言が翻った。
駅で偶然二男と会った。
これも何かの縁、二男と一緒に帰って食事するという。
夫と息子なら息子を選ぶ。
当然の話である。
それで男一匹、正宗屋のカウンターに腰をおろした。
金曜の夕刻、カウンターには中年男性がずらりと並び、各自ひとときの安穏にひたっている。
垢抜けないこの光景にふと昭和を思った。
おそらく当時の様子もこのようなものであっただろう。
野球中継と言えば巨人戦であり、猪木が世界最強で、キャンディーズの後を継いでピンクレディーが一世を風靡した。
そんな時代におそらくうちの親父も、こういった一杯飲み屋で過ごしたことがあったに違いない。
隣席に若き親父がいてひとりビールを飲んでいるような気がしてくる。
いまの自分と重ね合わせ、当時の親父の気持ちをなぞるような思いとなった。
わたしの労苦など親父のそれに比べれば短縮版の縮小版。
親父の場合は、楽に呑気に過ごせる日など滅多になく、あがいてもがく懸案尽きず、始終、難題に包囲され続けるような日々であったはずである。
しかし、ぐっとこらえて自らを奮い立たせて一つ一つ乗り越えてきた。
父にとって一杯飲み屋は、戦況を見つめ直し自らを立て直す、数少ない憩いの場であったのではないだろうか。
父を支え続けた心意気について思い巡らせつつ、刺し身と焼き鳥に続いておでんを頼んだ。
まもなく冬。
昭和の冬と言えばレコード大賞に紅白歌合戦。
遠い昔、家にあった小さな炬燵とテレビが目に浮かぶ。
味がよくしみておでんもおいしい。
いつだってなんだって正宗屋はほんとうにおいしい。
店に入ってから一時間ほどで席を立ち、風呂に寄って帰宅の途についた。
神戸線の車内には、身なりのいいビジネスマンが多く目立った。
普段気にすることは皆無に近いが、このように彼我のコントラストが明瞭に過ぎると、自身の着衣に意識が向くことになる。
この夜もわたしはパッとしない。
高価でも何でもないものを長く着るから、上から下まで褪せて冴えない。
しかし、と思う。
うちの親父もそうだった。
身なりは質素であったが、ガッツは半端ではなかった。
だからわたしもそれでいいと思っている。
必要があればいつでも買える。
そう思うといま買う必要はなく、しばらく買う必要もない、という結論に至る。
そしてこれはこれで一つの手本にもなり得るとも思っている。
子らは親の身なりからも何かを感じそこから学ぶだろう。
ガッツが肝心。
目を向けるべきは中身。
男であるから子らにはそう伝えたい。
中に備わるものが大事なのであって、取り違えて、外側で自分を構成し始めそこに執心するとそれが自滅の第一歩になりかねない。
極端な例を挙げれば、どこかの偽セレブ。
自分を大きく見せようとあの手この手で嘘にまみれて虚飾に走って、挙げ句、元手が痩せて中は空っぽ、ガラクタばかりが残ってリキはなくもはやどこにも行き着けない、ということになる。
そうなってはバカバカしい。
そもそもが大阪下町の出。
祖母など行商で生計を立てていた。
まず真っ先、まとうとするならそのガッツの方だろう。