業務を終えひとり阿倍野正宗屋のカウンターに腰を下ろした。
時刻は夜9時。
客はまばら。
息子が送ってきた試合の動画を観ながら、ビールを喉に流し込んだ。
実にうまい。
今朝家内はリビングの大画面でその動画に観入った。
そして観終えてすぐスポーツ店までクルマを飛ばした。
長男に頼まれていたリュックとシューズを買い、ついでに二男の分も選んで買い足した。
その足で郵便局から東京に向け荷物を発送したという。
母性のフットワークはこのように軽くて機敏。
思い立ったが吉日で、だから、息子がいればすべての日が吉日ということになる。
ちびっ子の頃にはじめたラグビーを大学生になってまで長男が続けるなど夢にも思わなかった。
だから息子が送ってくれる動画にタイトルをつけるなら「夢のつづき」ということになるだろう。
ぐうたらな学生時代を過ごしたわたしとは大違い。
学業にバイトにスポーツにたいへんな充実ぶりを見せている。
二男も大学でホッケーを続けることになるだろう。
そうなれば、わたしたち夫婦の行く先は東京ばかりになっていく。
長男に声援を送り、二男にも。
それがスケージュルの中心を占め心も占める。
そうなるだろうと思っていた漠然が、まもなく形を宿して眼前に現れる。
世に子育てほど胸躍るものはない。
しびれるくらいの話と言える。
上機嫌に酔って帰途につき、駅の階段を降りたとき、ちょうど向かいの階段から降りてきた二男と鉢合わせした。
さらにしびれた。
同じ電車に乗っていたのもこれもまた何かの縁だろう。
小雨降るなか家に向き息子と並んで歩く。
交わす話題は朝日新聞の記事のこと。
安倍政権について総括した佐伯啓思氏の論評があって、二男は氏がする背景分析に強く関心をそそられたようだった。
わたしが二男の歳の頃、冷戦構造が終焉を迎え、あれから30年。
世界の勢力地図は様変わりし、勝利したはずの価値観が世界同時進行でゆらぎはじめている。
息子らはまったく新しい時代を生きることになる。
やはり片時も目が離せない。