昔は休むなど考えられなかった。
ゆっくりできるのは盆と正月のみ。
大抵の土日は仕事で潰れた。
思えば無理のし通しだった。
仕事に追われ仕方のないことであったが、たとえ凪のような状態が訪れても休むと再起動に時間がかかって非効率であると強迫観念のように思いこんでいた。
結局、微出力であれ土日も仕事に費やすのが常態となっていた。
仕事の負荷が適度になって今は休めるようになった。
うまくすれば土日両方休めるから昔と大違いである。
家族と過ごす時間が増え、これが暮らしの実感となり心満たされ、おまけに休めばエネルギーにタメができ月曜から快調に仕事をこなすことができる。
これをいいこと尽くめと呼ばずしてなんと言おう。
この金曜も土日をフルで休むため早朝から事務所で業務に勤しんだ。
休もうとの動機がエンジンになって仕事が捗り夕刻を前に一段落ついた。
たまには女房に楽してもらわねばならない。
そう思って夕飯を済ませて帰宅すると家内は隣家で女子らと憩いの時間を過ごしていた。
居場所があるのはいいことだ。
わたしの場合、家か実家が居場所だが家内の場合は家か隣家が居場所ということになる。
心安らげるのは家族のもと。
そういう意味で家内にとって隣家はちょっとした家族のようなものと言えるだろう。
まもなく家内が戻り二男が帰ってきた。
いつもと同様。
二男が走る姿に夫婦して目を注いで話し合う。
明日、何をしようか。
手つかず自由の時間がまる二日。
女房と過ごすことになる。
まさしく連れ合いと言うに相応しく、他にこんな相手はどこにもいない。