33期オーアサに声をかけられ隣合って座った。
この日ミサの先唱すなわち進行役は24期のオーアサ先輩。
二人が瓜二つ。
もう一人のオーアサ兄弟も星光卒業生。
まだ見ぬ三人目の顔が何となく想像できた。
大阪星光物故者ミサへの参加は初めてだったが、ペテロオーアサの後に続いて祈って歌った。
式次第の別紙に物故者の名が期ごとに記されていて、じっとそれを眺めた。
どの期にも亡くなった方がいて、その数は時を追うごと着実に増していく。
つまり、死の到来は確率的な話であり誰かに死が訪れることは不可避。
生きて在ることの帰結は死であるという事実を別紙によって告げ知らされ、いったい死とは何なのか、と考え始めたところで思考が空転し始めた。
だから司祭の言葉が強く心に刻まれた。
「いまはカラダを住処にしている」
ということは、死とは住処の引っ越しのようなものなのかもしれない。
「人は誰しもハダカで生まれ、すべてをこの世に遺し、一人ハダカで旅立っていく」
ということは、もしかしたらいまはひとときの夢みたいなものであり、そのビフォーとアフターの方にこそ本質的な意味が宿っているのだろうか。
「あの世にも夕陽ヶ丘があって星光生はみな集まっているのではないでしょうか」
この世と同様、あの世に星光があればみな仲良く集まるのは当然だろう。
しかし、あの世で会うにせよこの世で会う機会は限られているし、今から会っておかないとあの世で集まりそびれるかもしれない。
皆で集まることの大切さが全く異なる観点で理解できたように思えた。
普段自分に見えている世界だけが全てなのではない、そんな感銘のようなものが心に残った。
この日、スクールフェアも開催されていた。
ミサの後、金券を千円分買って表に出た。
が、どこも長蛇の列。
何か買うことは諦め、ラーメン屋の受付をする息子の様子を眺めた。
ラコステのセーターが実によく似合っていて、どこかのお母さんに、学校ではどんなセーターを着てもいいのですかと質問されて彼は返答に窮していた。
ラーメンを求める列はグランドの端から端に達するほどに伸び大盛況だった。
学校に来ているはずの家内に連絡するが繋がらない。
わたしは間近にいた息子の友人に金券全部を献上し学校を後にした。
どうせ家内はママ友らと長く過ごす。
せっかくの休日。
わたしは、まさにひとときの夢の時間を好きに過ごすことにした。
向かうは阿倍野正宗屋。
日曜昼から大衆酒場は大繁盛していた。
カウンターに空席を見つけて腰掛け、いつものとおり、無属性の者となって飲んで食べ、生きて在ることに附随する煩悩に逆らうことなく身をひたした。
小一時間ほど過ごしまだ日の高いうち帰途についた。
秋とはとても思えないほど陽射しが強い。
どうやらほんとうに四季が失われている渦中にあるのかもしれなかった。
春夏秋冬ではなく、夏夏夏冬。
夏夏夏夏ココナッツというあの歌に黙示録的な予言が含まれていたのだと気づいてわたしは慄然となった。
家でごろごろしていると夕刻、家内が帰宅し、まもなく二男が部活仲間を引き連れ家に帰ってきた。
今宵の宿泊者は4名。
星光生はいつだってどこでだって仲がいいのだった。