なにはどうあれ休日の懐に抱かれて過ごすことは心地いい。
ふんわりとした肌ざわりの時間に相好崩し、いつまでもこんな風であればと叶わぬ夢を思い描きつつ、しかし予感したとおり、終わりはやってくるのだった。
仕事始めとなったこの日、明け方から神経高ぶり平静ではいられなかった。
処理すべき業務が頭のなかをぶんぶん音立て気ぜわしく駆け回り、もはや気を落ち着けるなど不可能といった状態に陥っていた。
こんなときは食欲も鳴りを潜める。
家内がにゅうめんを茹でてくれ、それをゆっくり口に運んで腹ごしらえとした。
食事を終えて、おろしたてのシャツに袖を通しネクタイを締める。
身支度を整え終えたときようやく、気持ちは後ろから前へと切り替わった。
休日という最愛の存在との戯れの時間は終わったのだった。
またいつか会おう、そう心の中で言い残し、振り向きもせずわたしは家を後にした。
家の前は公園。
飼い犬を連れた主婦ら数人が、輪を作って和やかに談笑している姿が目に入った。
ああ、安らかな憩い。
振り払ったはずの最愛の存在の影がそこに見えるような気がして、わたしは慌てて目を逸らした。
そして、始まってしまえば呆気なかった。
ゆりかごから墓場へ直行。
そんな喩えでイメージし自らを哀れんだ行きの電車の時間がウソのよう。
机に向かって仕事に着手した途端、そんな悲壮感はたちまちのうち雲散霧消した。
気がつけば、日常のペースに心身なじんで、ぶんぶん音立て巡っていた業務の数々もいまや止まって見える。
墓場どころかここがわたしの居場所なのだという確かな手応えさえ感じた。
2019年仕事始め。
上々の滑り出しと言っていいだろう。

