この夜は、北堀江にある和食「いし津」。
若き30代の事業主4名に囲まれた。
仕事の話もそこそこに、いつしかテーマは結婚へと移っていった。
相手の両親にそろそろ挨拶をしようと思う。
一人の若者がそう言って、他の若手がそれを諌めた。
早まるとろくなことはない。
結婚は人生の墓場。
まだ死ぬことはないではないか。
若者は言葉を返した。
いや、いい子なんだ。
だから結婚しようと思う。
他の若手は揃いも揃ってかぶりを振って、口々に言った。
結婚前に本性をさらけ出す女性などない。
舞台裏で練られ緻密に構成された台本のとおり、盛って装った女優がそこにいるに過ぎない。
いまはいい子であっても、ウェディングベルがゴングとなって、君はロープ際を逃げ惑うか、クリンチして必死にその攻撃を凌ぐといった辛く切ない毎日に苦悶することになるのだよ。
そして最終的には愛想も尽きてリングに残るのは憎しみだけ。
あの人もそうだったし、この人もそうだった。
そんな事例は枚挙に暇がない。
合理的に考えよう、一人の若手が言った。
家政婦を雇うというのでいいではないか。
給料を払えば、家事全般を完璧にやってくれてそれが当たり前という状態が手に入る。
働きが良ければ、ボーナスを弾めばいい。
家政婦さんは反逆してくることはないし、仕事をおっかぶせてくることもない。
子どもは諦めるのか。
結婚へと踏み切ろうとするその若者が言った。
子どもが欲しいなら結婚という形を取らずとも、パートナーとの話し合いでなんとかなるのではないか。
身軽で気軽が一番だ。
後世の者は歴史書を紐解き、妻の圧政に虐げられる夫という種族が存在したことを戦慄とともに学ぶことになるに違いない。
ボロ雑巾のように働いて、しずく程度の小遣いで日々をしのぎ、怒鳴られ小突かれ周囲と比較され馬鹿にされる。
子どもを得る対価としてどう考えても釣り合わない。
しかし、愛は盲目であった。
そんな言葉を四方から浴びせられても若者の結婚への意志は微動だにしなかった。
彼は言った。
例外的にうまくいく夫婦もあるはずだ。
おれはそれを信じる。
議論がここに及んで皆がわたしに視線を向けた。
この場での最年長者であり唯一の妻帯者。
成り行きを見守るだけでは済まず何か言わねばならなかった。
結婚すると女性にはスイッチが入る。
まるで非常事態に陥ったみたいに原始の活性がカラダに宿って発火する。
この先長きに渡って暮らしを成り立たせていかねばならず、この所帯で生き抜いていかねばならない。
内なるセンサーが発動するのは半ば本能的な次元の話だろう。
ところが男にそんなスイッチはない。
どこを探してもない。
ゴングが鳴ったのに突っ立ったままとなるから、テンションが異なり過ぎて噛み合わない。
行き場を失った活性は、やむなく砲火となって、棒立ち男子に降り注ぐ。
だから大切なのは、相手に劣らずこちらも意識的に発火することではないだろうか。
ロッキーとアポロがそうであったように、リング上でエール交換するみたいに夫婦で打ち合えば、その一撃一撃が良き家庭を形象するひと彫りひと彫りになっていく。
こちらが頑張れば相手も頑張り、相手が頑張ればこちらも頑張る。
そのような循環を経て家庭という無形の建造物が重厚さを増し、そこに安らぎが生まれ達成感も共有できる。
つまりは、幸福。
そして順々に、きれいさっぱりリング上で真っ白な灰になっていく。
家政婦とではこうはいかない。
熱く発火する人をこそ求めねばならず、だから「いい子」だというだけでは全く足りないだろう。
ありがちなのは、若くてキレイでスタイルよくて性格がいい。
しかし、りんごが木から落ちるのと同様、演技には幕が下り美貌は朽ち体型は崩れ虚飾は続かず媚態には飽きが来て小ウソはめくれる。
それが世の定めであるから、そんな心もとないものを決め手にしても遠からずその決め手自体が消え去って、後にはシュールな腐れ縁だけが残ってやがてそのまま腐り切る。
角が飛車に一目置くようなリスペクトの念が男女の間にもやはり不可欠と言えるのだろう。
それがあってこそ持ちつ持たれつ、良好かつ建設的な関係が、死が二人を分かつまで続くことになる。
死という終着まで同じリングに同居する。
そこが二人の墓場になることをあら嬉しと思える相手であればすぐにでも結婚をした方がいい。
そうでなければ多分後悔するので途中棄権が得策かもしれない。
ほらね、と若手らは頷いて、結婚に前向きだった若者は唇を噛んでしばらく黙った。
あにはからんや、わたしの話は結婚否定論者に与する熱弁となったようであった。
「いし津」のラストは炊き込みご飯。
お代わりしてもまだ残り、さすが名店、余った分は折り詰めに入れてくれた。
しかし折り詰めはたったひとつ。
皆が譲り合うのとは正反対、家族が食べるのでとわたしは躊躇なくその折り詰めに手を伸ばした。
家内の喜ぶ顔が目に浮かび、その瞬間、わたしは満面の笑みであったに違いない。
つまりはこれが結婚というものなのだと、次回彼らに解説しようと思う。