学園前を訪れたのは何年ぶりのことだろう。
快速電車の乗客の大半がここで降り、その人の流れに従い改札に向かった。
駅を出ると周囲全面に商業ビルが立ち並び、街全体が明るく輝ききらびやかに見えた。
学園前が奈良の芦屋、と言われる所以を実感した瞬間であった。
そこから歩いて5分。
割烹あらきの引き戸を開けて中に入ると、学園前の雰囲気に似つかわしい瀟洒な空間が眼前に広がった。
お待ちしておりましたと言う店員さんの物腰はいたって丁寧で、上座中の上座ともいうべき場所に案内された。
まもなく、午後7時半。
時間ちょうどに、きょうちゃんが現れた。
きょうちゃんと言えば五組の姜。
その昔、そう37年ほども昔の話。
阪神受験で灘中を目指すクラスにあって、きょうちゃんは最優秀な布陣の一角を成す存在だった。
一組だったわたくしが、一体なぜなのだろう、玉造のホームなどでよくきょうちゃんと会話した。
雲上人とも言える五組なのに、彼には誰かを見下すようなところが微塵もなかった。
だから一組のわたしでも気軽に話せたのだと思う。
2019年初の顔合わせ。
あの五組の姜と向き合って差しでする夕飯の時間がはじまった。
さすが関西を代表する住宅街きっての名店。
あらきの料理はどの一品にも花があって見目麗しく、口に運んでまた麗しいという最上級のレベルのものであった。
カネちゃんがまもなく開業する。
それをみなが意識しているので、きょうちゃんとの会話も開業がテーマとなった。
いつか家族伴ってアメリカに渡り研究生活を送る。
そんな未来を胸に助教としてアカデミズムの世界で日々過ごす医師姜昌勲であったが、思うところあって急遽開業へと舵を切った。
思い立ってから一年後、今ではその世界で知らぬ人のない、きょうこころのクリニックが誕生することになった。
すべてに渡って創意あふれる工夫が施された。
例えば「きょうこころのクリニック」という親しみやすい名称ひとつとっても先駆的であった。
提供する医療についても考え尽くされていた。
需要にドンピシャ合致していたのは、医師でありながら、姜先生がマーケット感覚にも優れていたからだろう。
結果、開業時から大勢人が詰めかけ今や押しも押されもせぬ存在のクリニックとなった。
一度は耳傾けるべき開業話であるはずなので、時期を選んでカネちゃん、タコちゃん交え、きょうちゃんと一席共にする場を設けたいと思う。
断酒続けるきょうちゃんを他所にわたしは日本酒までお代わりし、大いに食事を楽しんだ。
食後、きょうちゃんが駅まで案内してくれた。
改札へと続くアプローチに二人並んで立ってしばし学園前の街を見渡した。
あの灯は何々、向こうの灯は何々、とまるであれが二重橋だよといった光景さながら、きょうちゃんが学園前について説明してくれた。
男二人、遠く瞬く灯を共有すればこれはもう固い絆で結ばれたも同然で、だから最後に交わした握手も固いものとなった。
この日一緒に食事し、ゴルフでも始めようとわたしが思ったのは彼の影響に他ならない。
人にいい作用を及ぼし、いい方向に変えていく。
そんな不思議な才が、きょうちゃんには備わっている。
だから彼が精神科医であることはとても自然なことのように思える。
実際いくつかの岐路にあたってわたし自身も姜先生から背を押してもらった口である。
振り返ってみて、その作用が正しいものであったと確信できるので、彼が思う以上にわたしは彼に感謝の念を抱いている。