やはりシャトルシェフは家内にとって強力な武器として機能した。
先日のおでんに引き続き、今回は参鶏湯がシャトルシェフによってより一層深みある美味な一品に仕上がった。
投じられた鶏肉がふんわりとほぐれてスープがとろとろ。
滋養強壮効果抜群でかつ美味しくて食べやすい。
夕飯をそれで済ませて、食後、焼酎お湯割りのあてに出されたのが太刀魚のせんべい。
前日買った太刀魚の骨も有効活用するのであるからさすが料理の達人である。
子らにはピザが焼かれた。
そのおこぼれをもらったが、これまた食感よくもちもちして美味しく、おこぼれだけで済ますなどしのびない話であった。
一夜明け、朝の5時。
家内がキッチンに立ちピラフを作り、エビフライを揚げていた。
できたてほやほやを家内が弁当箱に詰めてくれる。
それを助手席に乗せわたしは出発した。
昼に食べるつもりであったが待ちきれず朝に食べた。
おいしい生活。
かつて一世を風靡したそんな言葉が頭に浮かんだ。
まさにおいしい生活という以外ない。
それにしてもなんて豊かな言葉なのだろう。
反対語をあてるとすれば、ひもじい生活あるいはいやしい生活いうことになるだろうか。
有するお金の多寡とは無関係においしいがあり得て、その対極があり得る。
様々な事例が頭を巡って朝一番、家庭をつかさどる女子の知性がその両極を隔てるのだと気づいた。