ジムに着いた瞬間、家内が言った。
あ、英会話のレッスンが始まる。
車中、英会話に励む家内を置いて、一足先、わたしはジムで筋トレに勤しんだ。
負荷に顔面を歪めつつ思う。
もし今のような環境が家内の高校時代に整っていたら、家内の英語力は凄まじいものになっていたに違いない。
英語の勉強に猛烈に邁進し、勢い余って早慶あたりに進学していたとしてもおかしくない。
そう思えた。
家内がジムに姿を現したとき、わたしは筋トレの終盤。
が、このところの過食の贖罪。
もうひと踏ん張りし、ついには有酸素にも取り組んだ。
ジムを終えれば、気持ち解き放たれる。
覆いかぶさってくる義務はなく、残された時間すべてが自由。
家でワインを開けて家内と飲んだ。
話題は、兄貴分やら姉貴分のこと。
わたしの妹は東京に嫁いだが、女の子が二人いて、うちの息子らからすれば姉貴分。
歳が近く小さい頃からしょっちゅう一緒に遊んだ。
不思議なもので、親の言うことは聞き流しても姉貴分には耳を傾ける。
だから受験の際にも、励まし効果は姉貴分からのものが絶大だった。
そして長男が上京した後は、頻繁に食事に誘ってくれ、合コンをセッティングしてくれといったように、何やかやと世話してくれて実に心強い。
今度は二男もその恩恵に与ることになる。
わたしにはもうひとり妹がいて大阪で暮らす。
その子どもたちは、うちの息子らからすれば弟分であり妹分。
そして好循環は連鎖する。
弟分と妹分からすれば兄貴が二人いるようなものであるから、そう思えるだけで心丈夫なことだろう。
家内と話し合う。
わたしは長男で、家内は長女。
周囲にいろいろなことを相談できる兄貴分も姉貴分も存在しなかった。
もしそんな存在がいたら、生きることはもっと楽だったのではないだろうか。
だからなのかもしれない。
無意識ではあったが、兄貴分といった存在に恵まれるような環境へと息子らの背を押してきた。
結果、姉貴分だけでなく、学校つながりで彼らは大勢の兄貴分に恵まれて、彼ら自身もいっぱしの兄貴分になりつつある。
図らずもその連鎖に子を組み込めた。
これこそ、親として最大の功労であったと言えるのかもしれない。