大和路線に遅れが生じ、時間調整のため大阪駅で長く停車したその分、JR環状線の混み具合は凄まじいものとなった。
すし詰めの満員を回避しようにも、次の電車は更に遅れているというからおそらく同様に超満員であろうし、第一、そんな後ろ向きの選択をすれば時間に間に合わなくなってしまう。
人混みに埋められるまま身を任せ、家内にとって良い社会見学になったのではと思い、押し合い圧し合いするなか姿見失った家内を探すと、ちゃっかり座席に腰掛けていた。
奇跡のような芸当と言え、目から鼻に抜けるようなその機敏に信頼感のようなものを覚えた。
鶴橋駅で降りドトールでコーヒーを買って伊勢志摩ライナーに乗り換えた。
デラックスシートの座り心地は格別で、車窓の景色を眺めつつゆったり過ごせば過ごすほど、先程のぎゅうぎゅう詰めの世界が物悲しいものに思え怖気さえ感じた。
途中、松阪駅で停車したとき、以心伝心、帰りはここで松阪牛を食べようと話が決まった。
当初、夜はてっちりのあじ平と意気投合していたが、間近に松阪牛をイメージしてしまえば心変わりもやむを得ないことであった。
午前11時、伊勢市駅で降り定石通り外宮から回った。
前日と打って変わって凍てつくような寒さであったが、その寒さが神域の清浄を際立たせおのずと心は静まって厳粛な思いとなった。
続いて内宮。
タクシーの運転手が話す橿原神宮とお伊勢さんの関係などについてふむふむと耳傾けるうち到着し、空腹ではあったがお詣りを優先した。
平日であるから人出はさほどでもなく、半時間ほどで回り終えることができた。
目的を果たしていよいよ昼食。
伊勢での定番、すし久の暖簾をくぐった。
寒いので二人して熱燗を頼み、わたしは伊勢路膳、家内は平膳竹にエビフライを単品で注文した。
心身温まってからはビールも飲み、結構な食べごたえであったから帰りに肉を食べようという話はその時点でたち消えになった。
おかげ横丁で伊勢醤油やらおみやげにする赤福を買い、バスで外宮に戻った。
目当ては赤福のいちご大福。
ちょうど午後の入荷があったばかりで、残り5つを手にすることができた。
その貴重な収穫を眺めつつ二人でぜんざいを食べ帰途についたが、肉は食べないにせよ子らのためせっかくだから買って帰ろうとなって松阪駅で下車することにした。
ネットで調べると、駅の北側にある精肉まるよしと南側にある丸中本店が松阪牛取扱店の双璧であるようだった。
どちらに寄るか決め兼ねて、決め兼ねたときには総取りとするのが正しいことに思え両方訪れることにした。
まずは北に針路をとり精肉まるよしを目指した。
人影のない閑散とした道を進んで10分ほど、熊野街道沿いにどでかい看板が出ていてすぐに分かった。
松阪牛だけを扱う高級店であるようだった。
丸中のための余力を残し、すき焼き用と焼肉用を500gずつ買いその足で南へと向かった。
駅の南側は城下町の面影残る趣き深い地であった。
そのなか、丸中本店があった。
庶民肌の店であり地域の方々が大勢買い物に訪れていた。
ちょうど小学生の下校時。
店の前を通り過ぎるちびっ子たちが店主に対し口々にただいまと言い、店主は一人一人にお帰りと声をかけていた。
その様子を見ていつしか家内もちびっ子たちにおかえりと声をかけ始めたのであったが、声を掛け合うことが地域社会の原点なのだと気付かされた。
うちの町にこんな光景はなく、子ども含めて皆が無言で行き交って、それはそれで奇異なことであるのかもしれなかった。
丸中の方がややリーズナブル。
さきほど同様、すき焼き用と焼肉用の松阪牛を500gずつ買った。
これで計2kg。
ずっしり重いがうちの息子らにかかれば秒で消え去る量でしかなかった。
帰り際、揚げ立ての牛串カツを受け取って、これを車中のお供にすることにした。
午後4時過ぎ、伊勢志摩ライナーの席は取れずやむなくビスタカーを選択し階上の席に夫婦並んで座ってビールで乾杯し串カツを分け合った。
一日を通じどの場面も印象深かったが、わたしにとってはここが一日のハイライト、しみじみと心に残るシーンとなった。
帰宅すると真っ先、買ったばかりの洋服を広げるみたいに家内が肉の包みを解き、その鮮やかな赤身を見比べた。
料理のアイデアが数々浮かび息子らの笑顔が浮かぶからだろう、家内が幸せそうに見え、すべてが子のためというその心根にわたしも温かな気持ちになった。
まもなく二男からラインが届いた。
部活を終え友だち達とともにいま「世界一暇なラーメン屋」にいるということだった。
朝5時過ぎには家を出て朝練をこなし夕方も練習し、となれば仲間と共にお腹も減るだろうから連れ立って行くラーメンが楽しみになるのは当然であり、仲間とともにあることが親としては何にも増して嬉しいことであるから、友人とのラーメン行脚は積極的に奨励すべき話でもあった。
よってこの夜、松阪牛を最初に堪能するのは長男に決まった。
一日動いて疲れているはずなのに、家内はそそくさすき焼きの用意をはじめ、いつものとおりわたしはそのおこぼれに与った。

