夜10時半、クルマ走らせ家路を急ぐ。
助手席には上の息子。
FMからニニ・ロッソの「水曜日の夜」が流れ、だからわたしは彼に昔話を語って聞かせることになった。
大学生の頃のこと。
サークルの先輩トミーさんはまったくモテなかった。
現状打開のためトミーさんは一案講じた。
まずは軽い友だち感覚で女子を映画に誘ってみよう。
トミーさんはそう思い立った。
手当たり次第といった勢いでトミーさんはサークルの女子に軽い感じで声をかけ、そして全ての女子がその日都合がつかなかった。
軽い感じ。
そうは心がけたが実は思い詰めていたからトミーさんはひどく落ち込んだ。
季節はまだバブルの余韻冷めやらぬ冬の入り口。
映画だと安っぽ過ぎる。
これで釣ろうなど虫が良すぎる話だろう、政経4年のトミーさんはそう思った。
それで映画がコンサートに変わったのだった。
トミーさんはニニ・ロッソのコンサートチケット2枚を大奮発して買い込み、これまた手当たり次第声をかけていった。
しかしトミーさんはより一層強く打ちひしがれることになっただけであった。
女子からすれば必死になって誘ってくる三枚目男子と映画に行くなど本能的な拒絶反応が沸き起こるような話であっただろうし、クリスマス間近の週末に雰囲気良すぎるトランペットの音色に一緒に耳傾けるなど、肌が粟立つというものであったに違いない。
そのような経緯があって結局チケットはわたしに託された。
要らなくなった。
良かったらおまえが使ってくれ、と。
男二人で行きましょう、わたしはトミーさんにそう声をかけるべきだったのだろう。
しかし当時のわたしは人を思い遣るにはまだ若かった。
以来、わたしにとってニニ・ロッソは特別な存在となった。
その数年後、イタリア・ローマでニニ・ロッソは息を引き取り、それが大きなニュースにもなったから印象は霞むどころかブーストされて更に強まることになった。
そんな話をしつつ、誰と行ったのかと息子は聞くが、トミーさん同様わたしも討ち死にしたとはベシャリな息子には打ち明けず、言葉を濁した。
そのときちょうどFMからトップ・オブ・ザ・ワールドが流れ始めた。
子らが小さかった頃、カーペンターズは車内で流す音楽の定番のひとつだった。
三つ子の魂百まで。
長男が口ずさみはじめたのでわたしも追随した。
男二人、深夜の車内でデュエットし、かつてのほろ苦い思い出はかき消えた。
この息子は寂寥とは無縁な学生生活を送るに違いない。
トップ・オブ・ザ・ワールドと歌ってそんな確信が生まれた。