雨の日曜、午前中に家内と買い物にでかけ、昼にはジムを済ませた。
あとの時間はゆったり流れた。
明るいうちからのんびり湯につかって本を読んで心地よく、心地よさつながりでかつての記憶がよみがえった。
秋が深まったある日の夕刻。
窓から入る風がひんやり気持ちよく、薄明かりのもとわたしは本のページを繰っていた。
染み入るような時間の快適にひたって、強く思った。
こんな時間で人生が埋め尽くされればいいのに。
あれから幾年月。
そんな時間とは縁遠い人生となった。
仕事という戦闘が終われば、食って飲む。
若い頃に願ったはずの時間に自らそっぽを向いて、ストレスを埋め合わせるだけのその場限りを積み上げた。
それで実になったのは体重以外なく、だから単に、大量の時間を無駄にしただけのことであった。
もちろんそれで心の平衡を保っていたのだから全否定はできないが、何もそれ一色にすることはなかっただろう。
人生の終局になって、失われた時間を惜しんだところでもう遅い。
だからせめて今からでも。
湯に半身を浸し、窓から入る寒気に身震いしつつわたしは願った。
あの時間を少しばかりは取り戻そう。
だからタスクノートに「読書」の項目を設けることにした。
僅かであれ、日々心がけてページを繰る。
そう決めた。
そして、夕刻。
家内と松阪牛と市販の和牛とですき焼きを食べ比べ松阪牛の圧倒的な美味しさに感動し、食後はすることもないので二人で映画を見た。
家内が録画していた韓流映画『沈黙、愛』。
これがなかなかいい映画で、二人揃って、父の愛に胸打たれた。
本ばかりではなく映画も好む。
無為な時間はほどほどに、これからはたっぷり本を読んで、残りは女房と映画を見て過ごす。
これで仕事も充実、余暇も充実。
いよいよという最終盤、大満足だったと人生を振り返ることができるだろう。