この夜のお供は赤ワイン。
夕飯は柚子豆腐に生ハムサラダ、そしてタコの酢の物。
連日ヘルシーを極める料理が並ぶ。
流す映像は前日と同じで子どもの昔。
幼稚園児の頃、長男は歴代ウルトラマンの歌を口ずさみ、まさにウルトラマンよろしくパンチにキックにスペシウム光線を繰り出すという日常を過ごしていた。
そのリズムに合わせ、見よう見まねで幼い二男も一緒に踊る。
永遠にウルトラソングが続くのかと思った矢先、画面が突如、幼稚園の運動会のシーンに切り替わった。
父親参加の競技のシーンでわたしが映り、隣で一緒に見ていた家内と二男が驚きのあまり声をあげた。
青年とも言える若き男子が映る画面の向こうと真横に座る中年男性を見比べて、着ぐるみを脱ぎ昔の姿に戻るよう家内は大笑いしながらわたしに言った。
冗談なのだろうと軽く受け流したが、笑い止んだ後も繰り返し言うので家内は真剣にそう思っているのかもしれなかった。
わたしからすれば、そんなもの非力で未熟な青二才以外の何ものでもなく、その曖昧な薄ら笑いが気味悪く、いたたまれないようなものであるから戻るなどまっぴら御免という話であった。
画面の向こうからここに至る道は地続きではなく、時間が経てばこうなるという類のものではなく、あんな若造の頃に戻るなど想像するだけで震えが止まらない。
人の恩を無数に受け、たまたま運が味方して、それがあってこそ二度と御免といった涙目必至の局面を切り抜けることができた。
無事生き延びることができたのは、息子のスペシウム光線に加え思い返せば他力による奇跡の連鎖があったればこそであり、そこをくぐり抜けた集大成がこの姿形なのであるから、すべてよしとせねばバチが当たるというものだろう。
家内の言葉にハイハイと頷いて、頷くごとに向こう側からこちらに至るはるかな道のりを噛み締めた。
そしてまだまだ先は長い。
戻るなどまったくもってあり得ない話であった。