KORANIKATARU

子らに語る時々日記

思えばあっという間のことだった

相手の動きは凄まじいほど速く、手数も桁外れ。

だからゴングが鳴ったばかりの出だしは村田の劣勢と見えた。

 

が、村田のパンチはこの日も強烈に唸っていた。

まるで鉈や鎌をがつんがつんと振り下ろすかのよう。

 

相手の動きは見る間に鈍くなった。

1Rでもう勝負がついたようなものだった。

 

2R、もはや相手にパワーとスピードはなく、凡百の弱小ボクサーと化していた。

レフリーがいつ止めるか、だけの話となっていた。

 

勝負がついて、ようやくわたしは家内の料理を口に運んだ。

昼に少し多めに食べたので夜は軽めのメニューとなった。

 

生ハムのたっぷり入った色鮮やかなサラダと市場で買った鮎の塩焼きの2品が前菜で、メインは神戸大丸の大井肉店で仕入れた肉で作った豚キムチ。

暑さまだ本格化しない夏であるが、こんな美味しい豚キムチを食べれば熱波熱風いつでも大歓迎というものである。

 

カティサークのほんの少しスモーキーなハイボールが実に美味しく感じられる。

家内と一緒に飲みながら、大阪星光36期、小川大介氏のツイートについて夫婦で話し合った。

 

『どうして子どものダメなところばかり目につくんだろうと悩むお母さんへ。それはあなたが、命がけでお子さんを守ってきた証です。お子さんをお腹に授かって以来、わが子に万が一があってはいけないと、常にネガティブにリスクを考えて守り続けてきたから今お子さんが元気でいられるのです』

 

まさにうちの家内がそうであった。

以前、悲観的な母親が果たす功績といったタイトルで日記にも書いたが、子らが小さいときは何であれ先に心配がきた。

 

だから、どんなときであれ目を離すことなどなく、クルマに放置したり、子どもだけで留守番させるなどあり得なかったし、あらゆる状況で最悪の事態を視野に入れて対策を考えるから、子らのまわりには不可視の安全ネットが張り巡らされていたようなものであった。

 

人一倍やんちゃないたずら坊主らであったから安全に配慮するだけでたいへんな骨折りであっただろう。

 

しかし、それがあってこそ五体満足でいま元気な二人について酒のさかなにし楽しく語らうことができている。

 

つまり、いまは楽観。

 

あいつらのことである。

どんな状況であれ、なんとかするであろう。

そんな信頼感が先にくる。

 

心丈夫なことこのうえない。

 

小さな男子二人がわたしたちのもとにやってきて、家にささやか光が灯って賑々しく、見守ってきたその光がいつのまにか大きくなって、今度はわたしたち夫婦が照らされる。

思えばあっという間のことだった。

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2019年7月12日 神戸住吉 レイユームン