昨日も今日も始発で事務所に入った。
ここ数ヶ月、ゆっくり目の出勤が続いたので始発電車に乗るのは久しぶりのことだった。
見慣れた顔がいくつもあって懐かしい。
午前10時にはデスクワークを終え、外に出た。
当たり前の話であるが始動が早いと仕事の完了も早い。
あとは人と会うだけ。
心に余裕があるから面談業務の質も自ずと良くなる。
気分健やか業務がこなせるので明日も始発でという気持ちになるし、長い目で見ればその方が仕事人としての収穫は大きいだろう。
実際、駆け出しの頃から長きに渡って早起き鳥となって業務に勤しんできたからまあなんとか生き延びてこられたのだと思う。
とはいえ、のんびりと過ごす朝も捨てたものではない。
朝から遮二無二になって飛ばさずとも仕事が回る、そう気付いて朝をゆっくり過ごすようになったのは最近のこと。
音楽を流しコーヒーを飲みながら新聞を読む。
朝食を食べ家内と雑談し、ワイドショーを横目によっこらしょと出勤する。
生活の実感というものが伴い、心穏やかに満ちてカラダも楽。
それで味を占め、スロースタートを楽しんで9時に出勤するようになった。
その時その時の状況次第で、朝の使い方は自由。
人生区分ごとのテーマに沿って使い分ければいいのだろう。
来年は下の息子が高校3年となる。
バカではあるまいし、息子が真剣に戦っているとき無邪気呑気に過ごす親はいない。
家内もそうだし、わたしもそう。
遊び呆ければ一番大事な存在が割を食う。
根っからの真面目気質はそうと知り、ここぞというとき真面目の実践を欠かさない。
家族一同、地味に静かに暮らす一年になるから大いに仕事するのが正しいということになる。
そろそろわたしの親も歳を取ってきた。
せめて事務所くらいは実家近くに引っ越そうとも思い始めている。
ふとした拍子で朝型の暮らしに戻ったが、実はその「拍子」が示唆するものは意味深で、つまり、すべての流れに含みがあって、新しいスタートが着々と準備されていると読み取るべきなのだろう。