週明けの月曜日、早朝から一気呵成に仕事した。
夕刻には疲労困憊。
帰途、いつもの飲み屋の暖簾をくぐった。
一杯飲みながらこの日記の検索窓に『反応しない練習』と入力してみた。
案の定。
2015年10月4日と5日に「反応しない練習」との記述を見つけることができた。
そんな本のタイトルを目にした記憶が微かにあった。
やはり思ったとおり。
わたしはその書籍を読んでいたのだった。
もちろん読んだ当時、かつての同級生が書いた本であるなど知る由もなかった。
本屋でたまたま見かけタイトルに惹かれて買って読み、感銘を受けたから日記に書いた。
ただそれだけのことだった。
そして次第、その記憶自体が薄れていった。
先日、友人からその著者が同級生であるかもしれないと耳にした。
彼の存在感はクラスのなかでも際立っていた。
腕相撲が強く頭がよく絵がうまかった。
修学旅行のしおりの絵は、白馬岳の壮観とともに皆の記憶のなかいまも鮮明だろう。
本のことは忘れても、彼のことを忘れるはずはなかった。
もう手元にないかもしれないが、その本を再読してみよう。
そう思った。
行間までじっくりと読み込むような、前とは全く異なる読書体験になることだろう。
ビール2本で切り上げて、風呂屋に寄った。
飲み屋も風呂屋も場末感たっぷり、絵に描いたような下町の佇まい。
そこで2時間も過ごせば眼の力みも和らいで、肩に残った業務の重石もきれいさっぱり消え去った。
家で晩酌。
お酒はMaker's Markで作ったハイボール。
家内が用意してくれたヘルシー料理に箸をつけていく。
まもなく家内の英会話レッスンが始まった。
聞くともなしそのフリートークに耳を傾ける。
英語で話せばテンションがあがる。
家内も例外ではない。
話題豊富な家内がノリノリといった感じになるから、傍で聞いていて面白い。
海を隔てた向こうの講師も、仕事だとは言えほんの少しは楽しいだろう。
スカイプでのやりとりを耳にしつつ、二男の言葉を思い出した。
日曜夜、ベランダ焼肉のときのこと。
火を囲むと無口な男もぽつりぽつりと話し出す。
歳を取れば取るほど、人はいろいろなことをあきらめる。
何かにチャレンジするより、安楽に憩うことが最上。
そんな考えに傾いていくのが普通。
二男はそのように思っていた。
ところが自身の母は活発で積極的。
カラダを鍛え英語を磨き料理に工夫を凝らし、すべてにわたって前向き快活に取り組んでいく。
しかも実に楽しそうに見える。
わたしは言った。
いまはただ分量の多すぎる受験勉強で目が曇っているだけ。
晴れれば楽しい。
自分を強めて高めて良いものにしていく。
それを嬉しいと感じるように人はセットされている。
視線の先に希望の光を見つけ出し何歳になろうが大ハッスルする。
そんな在り方が人としての「趣旨に合致」していて、だから幸福感が大きくなる。
誰が設けた趣旨かは知らないが、素直に賛同しておくのが賢明だろう。