日が暮れて寒さが増した。
ニット一枚では耐え難い。
駅へと一目散。
自ずと急ぎ足になった。
帰宅すると家内がわたしを待ち構えていた。
用意されたウェアに着替え、一枚上に羽織って家内とともにジムに向かった。
地元の商店街をぶらり歩いて、家内の二万語に耳を傾ける。
この日、英会話の講師はジンバブエの青年だった。
彼の国ではフィールドホッケーが盛んだそうで、学校の校庭では皆がホッケーに興じているのだという。
ホッケー談義でレッスンの時間が過ぎて行った。
毎回思う。
いろいろな国の講師と話しができて、この30分がとても楽しく、あっという間。
そんな家内の話を聞いて、わたしは言った。
二男がホッケーに出合えてほんとうに良かった。
自らの領分とできるスポーツの有無により、男っぷりに雲泥の差が生じる。
同じ男で格が異なる。
学業も大事であるが、スポーツで培った気骨と眼光の方こそ有用だろう。
もちろん、世の中は問題だらけ。
だから解を導く知性は不可欠である。
が、実社会の渦の中、答えを掴んだところで数々の難所をくぐり抜けねば話はいつまで経っても始まらない。
そういう意味で、so far so good。
小さい頃からスポーツに打ち込んで心身鍛え、要所でしっかり勉強にも取り組んだ。
期待したとおり、各自中高で数々の良き友人と巡り合った。
中学受験を経て得られる最大のものが生涯の友と言えるだろう。
そして中高の合間の中三の時、長男、二男各自単独で渡航して未知の地にて場数を踏み、そこで得た知己とも交流が続いている。
そんな交流があるから、長男は大学で様々な国の留学生と積極的に親睦を深め、二男はラグビーワールドカップのスコットランド戦のあと自然な流れで話しかけ友だちを作った。
要約すれば、自尊心と友だち。
彼らなり揺るぎない自尊心が内に宿り、友人が燃料となって、その火が灯り続けていく。
それが何より。
自尊心が確固とすれば、つまらぬことに振り回されたりジタバタすることがない。
最悪なのは虚偽虚飾。
中身がないと安易にそれらを代替としがちだが、もし我が子がそんな者、つまりコンプレックスの塊のような者になったとすれば、親としてこんな悲しいことはない。
平然と自分自身でいられる。
これほど心が満ちて平穏なことはない。
だから、これでよし。
ジムを終え家に帰った後もずっと子らの話をして、わたしたちは飽きることがなかった。
2020年11月1日の一場面 突進 pic.twitter.com/umDhUt5X2N
— koranikataru (@koranikataru) 2020年11月9日