クルマを走らせ京都までわざわざやってきた。
そう思うから地元で買うより多めの注文となった。
赤身はロース、ハラミ、カルビ。
すべて特上で600gずつ頼んだ。
ホルモンは、ミノサンド、ウルテ、テッチャン、センマイ、シマチョウ、その他ミックス。
それぞれ300gずつ買い求めた。
もちろん生センマイ2パックも忘れない。
仕入れた品を保冷バッグに詰め込み任務完了。
朝10時過ぎ、わたしたちは京都の地で充実感に包まれた。
あとは自由行動。
にし田を後にし丸太町にクルマを停め、鴨川に沿って三条方面へと歩いた。
空晴れ渡り、川面から跳ねる陽光が目に眩しい。
川沿いから街の歩道にあがったところで電話が鳴った。
長男からだった。
まもなく英会話のレッスン。
彼は毎回トピックを決めネイティブの講師を相手にまずは持論を述べる。
意見を戦わせ、英語表現に不自然な点があれば助言を受ける。
楽しく雑談する家内の受講スタイルとは全く異なる。
今日取り上げるトピックを何にしようか。
その相談の電話だった。
ちょうどクルマのなか、運動と知能の関係について家内と話していた。
息子二人は幼い頃、サル同然にバカだった。
どういうわけか、それがヒトに近づいた。
もしかしたらラグビーをさせたことが功を奏したのかもしれなかった。
走ってぶつかって組んず解れつ、大勢の人と関わってそれで血の巡りがよくなった。
何とかヒトとしての最低限に達したのは、そのおかげではないだろうか。
電話の向こうのかつてのサル同然も、我が意を得たりとその仮説に納得がいったようだった。
電話を終え、街を歩いた。
繁華街は至るところ人でごった返していた。
秋は全日が京都日和。
千年の都の冷涼は格別であるから、人が詰めかけるのも当然と言えた。
人混みを避け、わたしたちは情緒あふれる都の路地をぶらついた。
そしてまもなく昼。
先斗町の細い通りの一角、「李南河」の暖簾が掛かると同時、店に入った。
ここがほんとうに素晴らしい店だった。
詳述すれば長くなるので一言で済ませるが、いや素晴らしかった。
選んだ料理すべてが正解。
だからおそらくメニュー全品が絶品だろうと推察できた。
素材よく凝りに凝っていて、いまは無き「ほうば」を彷彿とさせた。
代官山が本店で22年も暖簾が続くというから名店で、わたしたちが知らなかっただけの話であった。
来年、東京にて家族四人で「李南河」。
ああ、またひとつ希望の光が胸に灯った。
大丸と高島屋に寄って買物し、帰途についた。
家に帰ってわたしはジムで家内は家事。
飲み物はビールと赤ワインがいいと家内が言うので、ジムの後、十一屋に寄った。
ワインを選んでいると、かわいい男の子を連れた美貌の母が白ワインを一本レジに運んでいるのが目に入った。
わたしはしばし見とれた。
目に映ったシーンの断片が引き金となって、うちの子らが小さかった頃の団欒が眼前に蘇った。
過ぎ去った日々の喜びが瞬時解凍されたようなものであったから、すべての過去が実は今と並走しているのだと肌で感じた。
家のベランダ。
家内と二人。
肉を焼き、サッポロの赤ラベルを2つのコップに注いで乾杯した。
目論んだ通り肉は絶品で、わたしたちは感動を噛み締め、何度も頷き合った。
続いて、赤ワインを開けた。
夜風は冷たく、その分、火の暖かみが心にまで染み入ってくるかのようだった。
日中は一緒に京都を歩き、夜、ベランダで二人向き合って肉を焼いてワインを飲んで、子らの話に興じる。
わたしたちは連れ合いなのだと、しみじみと思った。
いつの日か、遠い先のこと。
この瞬間の喜びが、ふとした拍子に何度も蘇ることになるのだろう。
2020年11月1日の一場面 タックルで一本 pic.twitter.com/uM0S7FvFok
— koranikataru (@koranikataru) 2020年11月9日