河内山本駅前からバスに乗って15分ほど。
あたり一帯、寂れた地へと運ばれた。
降りると、凍てつく寒さ。
バスが走り去って、暗闇の濃度が一気に増した。
予定時間より早かったが、iPhoneを頼りに訪問先までまっすぐ向かった。
路地の暗がりを右へ左へと歩き、あまりに細い道については入っていくのが躊躇われ、遠回りになると分かっていたが迂回した。
まもなく到達するが、訪問先に明かりはなかった。
メールを送ると、あと30分で戻りますとの返信があった。
暖が必要だった。
もと来た路地を引き返し、幹線道路に向いて歩いた。
思ったとおり、外環を行き来する車列の向こうにコンビニの光が見えたのでほっとした。
砂漠にオアシスといったようなものであった。
寒さに負けじと這って進むような気持ちでにじりより、ようやく到達。
自動ドアが開いて、ふんわりとした暖かみに全身が包まれた。
全細胞が息を吹き返していくのが分かった。
ひととき暖に浸るが、しかしコンビニは無人。
店員もどこか奥に引っ込んでいる。
そんな場で長居するのは難しい。
コンビニのなかで不自然に佇むより、いくら寒くても気兼ねなく過ごせる方がいい。
棚をひととおり眺め、わたしは元の凍土の夜へと舞い戻った。
時計を見るがまだ10分ほどしか経っていない。
腹を括って、相手が戻るまでの時間、歩いて過ごすことにした。
迷いがなくなると、視線は外から内へと向いていった。
内に映写されるのは、今朝の光景。
家内が朝食と弁当の支度をしながら二万語を語る。
話題は英会話レッスンのこと。
家内は前夜、インド人の男性講師を相手に奈良観光について写真を多用しプレゼンを行った。
不自然な部分を講師に直してもらい、様々な英語表現を教わった。
その一つ一つを朝食のうな丼を食べる二男に向けて説いていく。
が、それこそ釈迦に説法。
二男からすれば当たり前のように知っている表現ばかりであった。
結局家内は教えるつもりで教わって、二男からもレッスンを受けているようなものであった。
寒いのに口元が緩む。
家族と過ごした朝の光景が、内から発する暖になった。
凍てつく夜、しかも真っ暗で待ち人は来ない。
そんななかでもわたしは孤独ではなかった。
やはり家族はあった方がいい。
つくづくそう思った。
面談を無事終えて、遅い時間。
こんな時間に夕飯の支度をしてもらうのも憚られる。
バスを降りて再び河内山本駅前。
あたりを見回すが、勝手分からず、だからめぼしい店が浮かぶはずもない。
結局、電車を乗り継ぎ、立花正宗屋で食事した。
カウンターに腰掛け、ひとり。
視線はいつものとおり内を向く。
そこには家族。
ひとりであっても、ひとりではない。
そこが家族持ちのいいところ。
孤独ではない自らの身を、心からありがたいと思った。