ジムを終え風呂に入っていると、インターホンが鳴った。
家内が階下へと駆け下りてくる音が聞こえ、「ブラック・キャットがやってきた」と言う家内の声が聞こえた。
ブラック・キャットのおじさんと交わす言葉以外は英語。
タブレットを手に英会話のレッスンを受けながら、家内は遠い海の向こうジンバブエの英語講師にブラック・キャットをライブで見せ、その任務について説明を加えていたのだった。
届いたのは美々卯のうどんすきだった。
夕飯の支度をする家内が、先ほどのレッスンの内容を教えてくれる。
講師はジンバブエの女性画家。
絵を描いてそれをヨーロッパで売るのが夢だという。
ちょうど向こうもクリスマス。
家内は聞いた。
ジンバブエのサンタはどんな格好をしているのか。
聞けば、あのお馴染みの厚手の赤装束。
家内は言った。
トロピカルな地でそんなティピカルな格好だったら面白みがない。
そして言った。
脱ぐのはどうだろう。
赤白のスイムキャップとパンツといういでたち。
それで真っ赤に日焼けしたサンタを描けばいい。
きっと売れる。
その前衛的なサジェスチョンに、相手は大いに笑ったというからインスピレーションを強く刺激されたに違いない。
アフリカ・サンタが一大ムーブメントを巻き起こし、アフリカの人口爆発と地球温暖化を追い風に世界を席巻する。
サンタと言えば水着姿。
孫の世代にはそうなっていてもおかしくない。
そんな与太話も尽きた頃、夕飯の支度が整った。
鍋を囲みスパークリングを飲みながら、家内がタブレットでいろいろな人のインスタの投稿を見せてくれる。
そこに繰り広げられるのは様々な家庭のクリスマス・イブの光景だった。
その様子を眺め、互いに感想を述べ合った。
インスタがあるというのは、たいへんなことなのではないだろうか。
そう意見が一致した。
競い合うかのような幸せの演出が、熾烈なカーチェイスのようにも見えてくる。
チープでプアーなウソつきセレブ、我らが注目のインスタ番長も気を吐いていた。
そのカーチェイスの様を見て思う。
何か憑き物が心のハンドルを握っているようなものなのだろう。
自らに主導権があるつもりで実は他の何かにジャックされている。
だから優雅平穏に見えて安心立命の境地からほど遠い。
時はコロナ禍。
慌ただしさのなかで見失っていた大事なものが、非常時を背景にした途端「止まって見えた」。
必死に走り回らずとも大事なものはすぐそこにあると多くの人が気付いた一年だったのではないだろうか。
カーチェイスの対極。
大事なものに気づけば、腹が座って惑いが消える。
なくはなくともありのまま、ただ静かにそこにいるだけで心が満ちて、水がおいしく空気もうまい。
だから、自然と笑顔になって愛情も湧いて、そこを起点に好循環が生まれる。
ただ、見せ物としてはカーチェイスの方が断然面白い。
好循環のなかにあってカーチェイスを眺める。
つまり、パンとサーカス。
これが一番いいのだろう。