朝9時に家を出た。
が、懸念したとおり渋滞に巻き込まれた。
やはり世間は連休。
京都に押し寄せる人流は普通ではなかった。
もっと早い時間に出発すべきだった、そう思っても後の祭り。
桂川の手前付近から京都南出口まで。
車列は遅々として進まず時の流れが滞った。
そんななか、家内の喋りがせめてもの救いだった。
新風館には11時過ぎに到着した。
目指すは「たすき」のかき氷だった。
昼を過ぎれば長蛇の列となる。
それを見越しまず先にそこを訪れたのだった。
すでに列ができていた。
もっぱら若い女子らで構成されるその列に混ざってしばし過ごし、そして気付いた。
うちの家内は年齢的にもはや若いとは言えぬが手足を含めたスタイルの均整や肌の艷やかさでそこら女子には劣らない。
中年を過ぎて顕著になるはずの生気を欠いたたるみやだぶつきといったものから今のところは無縁。
なるほどこれもひとつの相対性理論。
アインシュタインはいいこと言った。
シャキシャキ生きれば時の歩みが緩やかとなり、結果、歳を取らないということである。
そもそも、かき氷で一日をスタートさせるという時点で若々しい。
結局一時間ほど待って、お目当てにありつけた。
キンとくる冷涼をたんと体内に取り入れて往来へと出た。
京都の暑さは近隣他府県を凌駕する。
かき氷なしでは数歩も行けないというのはほんとうの話である。
昼は「京料理かじ」を予約してあった。
二条城を過ぎ京都御所の手前、京都府庁の旧本館を臨む場所にクルマを停めた。
夫婦でカウンター席に腰掛ける。
両隣もカップルで、ともに身なりよく女性は美形。
家内は変幻自在。
このときばかりは話し声がしっとり京風にチューニングされた。
京の情緒に静かひたって、凝りに凝った和食の粋を心ゆくまで楽しんだ。
大将によれば、いま京都御所が一般公開されていて迎賓館など一見の価値ありとのこと。
関心をそそられるが、時刻はすでに午後3時に迫ろうとしていた。
出遅れれば京都南インターへの道が深刻な渋滞に見舞われる。
わたしたちはスムーズな帰路をチョイスした。
京都探訪の最終地点は「出町ふたば」
クルマを走らせ店に近づき驚いた。
さすが不朽の名店。
黒山の人だかりで店先はごった返していた。
十重二十重に連なる列をわたしはかき分け、あらかじめ電話で予約していた豆餅を受け取った。
これで隣家も含めて手土産が整った。
あとは家内の二万語を隣に名神を真っ直ぐ突っ走るだけ。
道は空いていて、快走。
4時過ぎには無事家に到着し、あとは家でゴロゴロ。
話題の上海ドラマ『30女の思うこと』など観て過ごし、休日を二回分楽しんだ。