いくらでもやることがある。
樹の幹を蔦が這うように、毎日毎日、課題をこなしていく。
「やること」が芯であり、これがないと蔦は行き場を失う。
そんなイメージを思い描きつつ、事務所の自室にて業務をこなす。
「蔦」と化して幹を這い、夕刻、人に戻って事務所を後にした。
あとは自由。
週の真ん中であるからここらで一息入れよう。
ひところのわたしならそう思ってぶらり飲み屋の暖簾をくぐったことだろう。
そんな光景が頭に浮かんで心を誘う。
しかし、わたしは思い直す。
まだ週の只中にある。
そろそろ疲労も出始める。
であれば、さっさと家に帰って、静かに過ごすべきだろう。
読みたい本が何冊もソファの横に積んである。
役割から解き放たれた余白の時間、寝転がって読書に勤しむのがいちばんいい。
お酒が入ると文字の吸収が悪くなり、せっかくの肥やしが無駄になってしまう。
そうと知るから、「飲む姿」を「読書する姿」で上書きするのはさして難しいことではなかった。
帰宅して着替えてすぐにごろんとソファに転がった。
ぼんやりとリビングの空間に目をやって思う。
いくらでもやることがある。
体調を整え静かに過ごし、次の日に備える。
心身が快調であってこそ、多くをこなせる。
残り時間が無尽蔵に残されている訳ではない。
過ごし方がシンプルな形に収束していくのも道理と言えるだろう。
幹を這って、休んで、また這う。
このイメージが、実に自然な感じで心に馴染んだ。