KORANIKATARU

子らに語る時々日記

雨の情緒が感覚を細やかにしていった

旅の直後はいろいろな思い出が入り混じり、大小様々な記憶の断片が頭の中を駆け巡る。

 

が、しばらく経つと、小片は濾過され下層へと沈み、珠玉の思い出だけが残って輝きを増していく。

 

何が旅の「頂点」であったのか。

分かるのはつまり後日のことになる。

 

息子たちがそれぞれの日常に戻って十日以上が経過して、ふと彼らが発した言葉にそれが表れ出た。

 

長男が言った。

肉、めちゃ美味しかった。

二男が言った。

他の肉、食べられへんかも。

 

遠い宇宙から飛来した小さな粒子を捉えるかのように、わたしはそれらの言葉で彼らの旅の頂点を知ることになった。

沖縄の旅のなか、他の何よりもキングダムの肉が突出した存在だったのだ。

 

肉を最上位に戴いて、その他は肉を際立たせるための添え物として彼らの胸のうちでその図が永続する。

わたしたち親ももちろん添え物であるが、永続が肝であるからそれで十分。

 

黒衣役に徹する。

そう弁えてこその子育てであろう。

 

旅程の二日目は雨に見舞われた。

天気予報で予めそう分かっていた。

だから家内は二日目の夜にキングダムを予約したのだった。

 

遠い地にあって雨降る日の屋内は、時間が歩みを緩め、あらゆる感覚が細やかになっていく。

匂いも音も鮮度を増して、色彩は一層際立ち、味覚ももちろん例外ではない。

 

感覚が外に開いて、全身にてすべてを感じる。

そんな状態に至るから、そこに美味しい肉が立ち現れれば無数の回路から「美味しい」が入力されて、だから格別の記憶として結実するのも無理なからぬことと言えるだろう。

 

初日のサンセットが視界に残した、吹き渡る風まで輝く美しい光景に肉がまさった。

なぜそんなことが起こるのか。

雨の情緒が実は黒衣になっていたのだと知れば不思議なことでもなんでもない。

たまには炭水化物 この九月を駆け抜けた麺類ごはん類たち