東京から戻って大阪での日常が再びはじまった。
月曜は事務所にこもって業務し、夕刻はジムで運動しカラダを整えた。
飲まずに過ごし、夜はたまった新聞を読んで過ごした。
火曜は仕事で遅くなる見通しだったので、朝のうちに武庫川を走った。
前夜慎ましく過ごしたから、体調万全。
過去最速で所定のコースを完走できた。
この日は家内とともにクルマで事務所へと出勤した。
いろいろと忙しく、たまに家内に手伝ってもらわないと回らない。
各所に届ける書類を待つ間、家内が携帯をみて笑っていた。
のぞき込むと、そこには寄せ書きがあった。
先日、長男の部屋を訪れた際、壁に飾ってあった寄せ書きを写メして家内に送った。
大学の卒業時、後輩らがいろいろなメッセージを寄せてくれたのであったが、そこに記載されたエピソードが長男のキャラを物語っていて実に面白い。
だからそれを眺めると自然に笑みがこぼれるのだった。
今回上京し彼らと会って、家内がする会話を耳にして気づいたことがあった。
家内は単に口数多く話をするのではなかった。
あれこれ好き勝手に物申すといったタイプとも別種。
無意識裡に、家内はいろいろな話を入り口にして、息子たちと同じ気持ちになろうとしていることが分かった。
いまどんな心境か。
さりげなくそれを理解しようとし、そしてその気持ちにシンクロしようとしているのだった。
思えば昔からそうだった。
大事な試合や試験など、息子たちと心を一つにして乗り切ってきた。
だから、そんなスタイルが根付いて、いまも変わらないということなのだろう。
二十代の男子など若造であって、成長の端緒についたばかりである。
だから、単に楽しいといった日々とは無縁で、目指す目標と現状とのギャップに引き裂かれちょいと苦しいといった感情がデフォルトになって当たり前で、そのために若さがあるようなものである。
楽しいことならいざ知らず、苦しいことすら同じ気持ちになって分かち合おうとするのであるから、母というものはやはり父とは別種の生態を有しているとしか言いようがない。
そして理解した後は実行。
息子たちにできることは限られている。
家内の手により今週は特製ハンバーグが作られて、うなぎや焼肉やカレーとともに送り届けられることになるだろう。