大和八木からの帰途、突如雨が降り出した。
奈良の地に降る雨が静寂を深め、一帯を清め、眺めているだけで心まで洗われるかのように感じられた。
上本町に着いたとき、雨はすっかり止んでいたので傘を買わずに済んだ。
事務所に寄って業務を片付け、家内が毎月恒例のヘッドスパに出かけていて留守だったから、夕刻、ひとりでジムへと向かった。
もうひと雨来そうな雲行きだったが、どのみちジャージ姿であり汗をかくだけのことであるので傘を持たず自転車を漕いだ。
運動したあとはほんとうに気持ちがいい。
ジムの風呂につかってしみじみそう感じた。
帰途、引き続くその心地よさにひたった。
雨上がりの街路に吹く清涼な風が幸福感をいや増しにした。
翌日から値上がりする。
だから今日買っておく必要があるとの理由で家内は、夜、神戸の地にあった。
それでわたしはノンアルに添える夕飯を駅前で買ってから家に戻った。
飲めば何かが薄れてその薄っぺらさも悪くはないが、飲まずに過ごすと心身ともに実在感が明瞭に増し、このありありとした感じもかなりいい。
そんな鼻歌まじりで過ごす夜、長男から電話が入った。
こちらの上機嫌とは裏腹、仕事の締切を明日に控え息子は切迫しているようだった。
そうかそうかとねぎらいながら、わたしは息子に彼の昔話を語って聞かせた。
時は二十年以上遡って彼が赤ちゃんだった頃のこと。
通常、ハイハイし始めて半年もすればヨチヨチ歩きになる。
それが赤ちゃんの常識であるが、彼の場合、ハイハイの期間がかなり長期に及んでまあ長かった。
それでかつて家内をあてこすった人物は「この子、ちょっと大丈夫」と冷ややか笑い、家内は我が子のことであるからとても笑えず狼狽えたのであったが、調べてみるとハイハイの期間は長くても深刻な問題ではなくむしろそれで体幹が強くなるから好ましいとも言えると分かって、夫婦してほっと胸を撫で下ろしたこちがあった。
社会人になりたてのいまの時期はいわばハイハイの段階のようなものであり、こと仕事になればひとり疾走するなど簡単な話ではない。
目を凝らせばそこら中の人がいまだハイハイかヨチヨチ歩きであると分かるだろう。
だから焦ることなどまったくない。
大挙してハイハイするビジネスパーソンの姿が眼前に浮かんだのだろう、長男は笑った。
このように能天気な上機嫌が息子の役に立って、昼過ぎに形成され始めた上機嫌は夜になって上から特上へとその位をあげた。