博多を旅したのは昨年末のことだった。
雪が舞うなか昼に寿司を食べ、家内の隣には若くて身なりのいいカップルが座っていた。
食べ進むうち、自然な流れで家内が真横に座るかわいい女子に話しかけ、いつしか旧来の仲であるかのように英語での会話が弾んだ。
聞けばまだ新婚ほやほやとのことだった。
日本は物価が安く、食べ物がおいしくお得感があるから、今後あちこち旅したい。
若い女子がそう言ったから、家内はiPhoneで日本各地の名所を見せてあれこれ説明を加えた。
それがきっかけで以降、交流が続いた。
そしてそのカップルがこのほど東京を訪れた。
わたしたちは赤穂にいたが、その地から家内が数々の情報を若き女子にあてて送った。
東京ならあの店この店、家内の情報量は半端なものではなかった。
息子らの大学受験にはじまり、足繁くかつ結構な期間、家内は東京で過ごしてきた。
漫然とではなく目的をもって、食べ物屋をひとつ選ぶにしても数多くの候補の中から吟味検討し、実際に足を運んでしっかり評価づけもするから、かなりの精度の情報を有していると言っていいだろう。
だから異国の若き友人に対しても有益な情報提供ができ、たいへん喜ばれることになった。
なるほど。
膨大な場数を踏む年月が積み重なって、食事処や料理その他もろもろについて家内は情報の宝庫なのだった。
あまりに当たり前に接し過ぎて気にも留めていなかったが、家内が隣国の若き女子にいろいろと教えて喜ばれる様子を見て、改めてそう気付いた。
だからその気になれば、情報発信という形で家内には幾らでもやることが見つかるだろう。
わたしやその女子のみが恩恵を受けるだけでは勿体ない。
老いてなお、ますます忙しい。
穏やかな赤穂の海を背景に、そんな家内の未来図が垣間見えたような気がした。