午前中、二男はジムとプールでカラダを動かし、そのあとサウナでカラダを整えた。
一緒に泊まっていればわたしも同様の過ごし方をしたはずだから血は争えない。
昼にホテルを出て家内は二男を連れて渋谷の寿司屋を訪れた。
その店は昨年長男と一緒に食事した寿司屋だった。
長男にしたことは二男にもし、二男にしたことは長男にもする。
だからその店を選ぶのは当然だった。
昼を終え、アマンでお茶して母と息子で丸の内を散策した。
息子は母と遊んでくれない。
だから娘がいないと先々さみしい。
そんな話を人に聞かされてきた家内であったが、どうやらうちに限ってはあてはまらなかったようである。
息子は母と旅行もするし、食事もするし、お茶もするし、買い物もするし、映画も見るし、ラインもするし電話もする。
それは長男であっても二男であっても変わらない。
母子の仲はよく、父子も良好で、わたしと家内も世間一般の夫婦に比べれば割りと円満な方かもしれない。
そして、長男と二男はまさに兄弟、肚と肚とで通じ合っている。
兄は弟のことを「おれに任せろ」と言い、弟は弟で兄貴のことを「おれに任せろ」と胸のうちで思っているような節がある。
互い同じくらい強い男子が二人、ピタッと呼応し心をひとつにしているから頼もしい。
二男の服を選んでいるとあっという間に時間が経った。
母と子で一緒に過ごせる時間は残り僅かとなって、東京駅の構内でワイングラスを傾けて、母を乗せる汽車の時刻を二人で待った。
まもなく定刻。
新幹線の乗り場まで二男が送ってくれて、そこで手を振った。
離れていてこそ、近くに感じる。
息子たちを東京にやって家内はそう実感していたが、わかれるときはいつだってさみしさがこみ上げる。
だから次は6月。
またすぐ会いに行こう。
そんな思いだけが、さみしさをいやしてくれた。
一緒に暮らし育まれてきた愛情が、離れて一層、深く大きなものとなる。
わたしたちは家族を通じ、そのようなことを身をもって学んでいるのだった。